島唄・島口は「島ヌゥ宝」

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2月20日(日)曇時々晴れ間あり
「第25回島口・島唄大会」が昼の1時半からあるというので
いつもの3人で出かけた。
会場は生涯学習センターの二階。
ばば達は15分ほど前に会場に着いたが
まだまだ三分の一ほどしか席は埋まっていなかった。
じじは、一番前に陣取り、
姉とばばはじじから6列ほど後ろの席に座って鑑賞した。
プログラムは16番まであって、島唄・漫談が主な内容。
出演者は、下は年長さんから上は90歳代の方まで。。。。

方言と言えば、ばばは中学生の頃まで家庭では方言オンリーだった。
しかし、学校では小学校の中学年頃からだったか?「ヤマトゥグチ(標準語)を使いましょう・・」と。
それまでは学校でも家庭でも方言を使うことが多かったばば達だけに
急に「ヤマトゥグチ」使いましょうと言われてもねぇ・・・・・
教科書に書いてある字は読めるし、意味も分かるんだけど
教科書に書いてあるような言葉を使うのは何だか恥ずかしかった。
だから、学校の門を出ると、声高に、思いっきり島口を話しながら帰宅した。
それまで家では父のことを「アジャ」、母のことを「アマ」と言っていたのに
ある日を境に「お父さん・お母さん」なんて
恥ずかしくてとてもじゃないが言えるものではなかった。
又、両親は島口を話すのに、子どもだけが「ヤマトゥグチ」って言うのも腑に落ちなかった。
だから、学校では「ヤマトゥグチ」家では「方言」としっかり区別していた。
所が小学校も高学年になると、学校で方言を使うと
「私は方言をつかいました」と書いた札を首から下げられた。
ばばは、あまり記憶にないけれど、じじ達は自分が札を下げていたら
虎視眈々と方言を使う友達を見つけたそうだ。
そうすれば、首から下げた札を友達に渡すことが出来たから・・・って。
そして、「方言で言えば・・・・」と前置きして話したそうだ。
この前置きがあれば、罰せられなかったって。
あぁ〜〜、今ならばばは、きっと決起して、みんなで方言使ったかも。
そしたら罰則の札も全校生徒分はなかっただろうし・・・・
その代わり、ただでさえ問題児だったばばは、ますます「不良」のレッテル貼られていたかもね。
それに、当時の先生って怖かったし・・・・・
女の子でも、ビシバシ、ビンタ張り飛ばされたもの。
正座はさせられるわ、水の入ったバケツを両手に持たされ廊下に立たされるわ、
冬の寒い日に、冷たい水の入ったバケツに両手を突っ込まされるわ・・・・
今なら人権無視なこと、平気でさせられてた。。。。。

いつ頃からだったろう?
家庭でもヤマトゥグチつかうようになったのは。
やはり、ラジオ等が普及しはじめてからかな?
明治生まれのばばの両親もヤマトゥグチつかうようになり、それがフツーになっていった。
でも、家族同士の会話はずぅっと島口だったけど。

今日の発表を聞いていても分からない箇所が多々あった。
島口は各集落でも違うからね。
ばばの実家集落と、今住んでいる亀津でも言葉やアクセントが微妙に違う。
だから、結婚当時は島口話したくなかったんだ〜じじ両親やじじと。
実家で暮らした時間よりも、じじ両親やじじと暮らした時間の方が長くなり
亀津の言葉も抵抗無く聞き取れるようになったけど、
集落が違うとやはり違和感もあり分からない言葉も多々。

厳しい監視の中で方言を追放しようとしたのは約半世紀前。
しかし、今は方言を復活させようと四苦八苦。
でも、もう今となっては無理じゃないかなぁ?????
だって、家庭で島口つかっている人口ってほんのチョッピリじゃないかな?
人の交流も多くなって、島口では上手くコミュニケーションがとれない時代だも。

島唄や島口は子や孫へも伝えたいと思うけれど
そう思うばばは、島唄が歌えない。
聞いても意味が分からない。
島口も忘れてしまった言葉が多い。
島口は、高齢者の方がどんどん少なくなり
それと共に廃れていくのでは・・・
守りたい!守れない!
ジレンマ・・・・・・・・

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