毎日・・・

3月20日(水)雲入り時々晴れ間

時々晴れ間もあるけれど、風の強い徳之島です。

我が家のゲンペイカズラ、赤い花びらは散ってしまったけれど

ガクだけでも数が多く、色がきれいなので撮ってみた。

定期船が欠航にならないかなぁ?と心配していたけれど

じじが撮影に行くとき、もう、亀徳港を出港し、南の方へ向かっていたということで一安心。

3月と言えば、異動の時期。

海が荒れると、旅立たれる人は大変だよなぁ。

じじもばばも、今は、異動とか関係ないけれど・・・

現職時代、鹿児島へ旅立つ上司を見送りに空港へ行ったら、天気が悪くて飛行機が欠航になり

ある時は、亀徳港に見送りに行ったら、波が高くて船が接岸できず、隣町の港に変更になり

慌ててしまい出発時刻に間に合うか、ドキドキしながら隣町へ走ったりしたこともある。

この時期、本当に天気が不安定だなぁ・・・と思う。

20度越えの日が続くと、もう衣替えしようかな?と思うけれど

やはり4月末の連休頃にした方が良いかな?と、思い直したりする。

夜も、寝る時は寒くて毛布と布団を重ねていても、夜中に暑くなって毛布を外したりも多々。

早く暖かい日が続くようになると良いなぁ。

ここ数日、何故か、高校時代のことをよく思い出す。

親元を離れて、兄と一緒に暮らした3年間。

高校になると給食がないので、毎日、兄と自分の分の弁当作り。

中学校の3年間も、ばばの時代は給食がなくて、弁当を持って行かなければならなかった。

当時は、卵は貴重品で、卵焼きなどおかずに持っても行けず、ピーナツを炒めて粒味噌で味付けした物が

ほぼ、毎日弁当に入っていた。

家庭科で、1週間の食事を記録し提出するという宿題があって、毎日朝は「ご飯と味噌汁」で

昼は「ご飯・油豆味噌」と書いていた。

夜は、ご飯とお汁の他に、煮物、たまに揚げ物などもあったが・・・・そんな時代だった。

ある子だけ、毎日、お昼のお弁当に卵焼きが入っていて、ばば達は、そのこのことを「お嬢様」と呼んでいた。

中学校までは、家の農作業の手伝いや洗濯などはしていたけれど、料理を作るということは、ほぼ無かった。

そんなばばが、親元を離れ、初めての土地で通学しながら主婦業?をした高校の3年間。

何を作って食べていたのかは、殆ど記憶にないけれど、隣町まで徒歩で食材を買いに行っていた。

ある日、ある先生が「自分ばかり丸々太らないで、兄さんにも美味しい物食べさせて下なさいよ」と言われた。

ばばは、自分だけ別に美味しい物を食べていたわけではなかったけれど

何故か兄に申し訳なく思った。

後で考えたら、ばばは、きっと太る時期だったと思うし、兄は食べても太らない体質だったと思う。

そういう3年間があったからか?ばばは、ある時期から料理に興味を持つようになった。

有名な料理家の本を次々買って読んだ。

「読んだ」と言うだけで、「作った」ではない。

今でも、料理関係の本や記事を読むのは好きだけど、積極的に作りはしない。

スイーツ類は、たまぁに作っていたけれど、それもしなくなった。

今は、毎日同じよう煮物とお汁だけ。

じじは肉類も好きだけど、ばばは肉無しの方が良いかな?

と言いつつ、お汁には必ず鶏肉、白菜、豆腐、卵は必ず入れる。

2人暮らしなのに、ふたり分別々にメニューを考える。

又、暖かくなり、暑くなってくると、食事のメニューも、しぜんと変わって来るかなぁ。

毎日、食事のメニューを考えるって、本当に大変だね。

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