もしも・・・
12月8日(金)晴れ
今日も青空が美しく、気温も20度越えの徳之島でした。
画像は3日前に撮ったのです。
ソテツは実が色付いている。
ソテツの実に関しては、奄美の民謡の歌詞にも「♪赤いソテツの実も熟れる頃・・・♪」とか
「♪ソテツのナリぬ(実が) 赤さドゥ キュウラシャ(赤いのが美しい)♪・・・・」とか出てくる。
幼い頃は、畑の周囲にあったソテツの実を収穫し、割って中の白い部分だけ取りだして乾燥させていたなぁ。
母が次々とふたつに割った実から、中身を取り出すのは子どもの仕事だった。
取りだした中身は川で洗って来て乾燥させ、精米所に持って行って製粉してもらっていた。
お粥を炊くときに、この粉も入れていた。
今、もし、このお粥が作ったら、ばば食べられるかなぁ?
ばばが子どもの頃、ソテツの実は食用に、葉っぱは子どもの「おもちゃ」作りに使っていた。
ソテツの葉を使って、車や馬を作ったり、1輪差しに使えそうなカゴを作ったり・・・・・
今でも、車や1輪差しは作れると思うけれど、肝心のソテツの葉が身近に無いんだよなぁ・・・・
いつか作ってみよう・・・と思いながら、もう、何年も経っている。
年取ったせいか?最近は、子ども時代のことを思い出す事が多い。
何故か分からないけれど、ススキの穂をもみくちゃにして、ガジュマルの樹液を付けて
「消しゴム」を作ったり・・・でも、消しゴムの機能は無いような気がするなぁ。
何でもお店で買える今の時代と違い、ばばが子どもの頃は
例えば、粘土も、自分たちで川に潜って川底から粘土質の土を取ったり
ある時は、山に近い場所の土手から赤っぽい土を削り取って使ったりしてたと思う。
今でも覚えているのは、シャンプーなど無かったから
田んぼへ行って、田んぼの泥を髪の毛に付けて洗ったりもしていた。
ばばの実家は、田んぼや畑もすぐ近くにあって、山も子どもでも行ける場所にあったから
手伝いをしなくて良い日は、友達同士で野山を自由自在に駆けまわって遊んでいた。
だから、ばばは自分のことを「野生児だった」とじじにも話している。
当時は、1円で2個買える「50銭飴」というのもあったなぁ。
教科書も現在のように無償では無く、隣の集落まで行って買っていた。
バス賃と教科書代をもらって行くのだが、ばばと友達はバスには乗らず
徒歩で隣集落まで行って教科書を買い、バス賃としてもらったお金では
お店で「50銭飴」を買って食べながら帰っていた。
今は道路も舗装整備されているけれど、当時はデコボコでそんなに広くもなかったと思う。
バスも数時間に1本という時代だから、バスに乗ったとして教科書を買って帰宅するのに
2,3時間以上かかっていただろうし、ましてや小学生が歩いて往復となると
ほぼ半日はかかっていただろうと思う。
現在と違い、不自由、不便なことも多かったけれど
今思い返せば「辛かった・きつかった」と言うより「楽しかった!面白かった!」
と、いうことの方が多かったと思う。
タイムマシーンがあれば、小学生時代に戻りたいなぁ・・・・と、ばばは思う。