先人に感謝
11月7日(火)曇り
久しぶりの投稿になりました。
ブログをアップしていなかった間、徳之島町では「奄美群島日本復帰70周年」を祝う
催しのイベントが沢山ありました。
じじの従姉妹さん姉妹のお父様が、復帰運動のリーダーとして貢献されたということで
徳之島町から招待を受け、久しぶりに来島(帰省)しました。
5日の午前中には町役場駐車場から高千穂神社までのパレードがあった。
ばばは、このパレードには参加しなかったが、南海日々新聞の記事では、次のように報じられていた。
亀津高千穂神社への参拝行列は午前10時にスタート。
約200人が横断幕や日の丸の小旗を手に同町役場から神社までの約600メートルを練り歩いた。
この記念行事のために来島した爲山道則の長女さんは、
「両親の生まれた徳之島で復帰の節目を祝えただけでなく
父の話も聞くことができ、思い出深い訪問になった」と笑顔で語った・・・と。
昼からは「奄美群島日本復帰70周年記念のつどい」in徳之島町というイベントが
徳之島町文化会館でありました。
式典は井之川集落の伝統芸能「夏目踊り」では始まり
復帰当時の映像が流されたり、「断食悲願朗読」などもあった。
その後、町長さんが復帰運動のリーダー泉芳朗のほか、
徳之島出身で当時宮崎県に在住し宮崎県連合青年団長となり
鹿児島県外から「日本復帰運動」の狼煙を上げた爲山道則、
徳和瀬青年団長の前田長英を日本復帰の功労者として紹介し、
「徳之島の先人たちが復帰を実現したことを誇らしく思う。
復帰に懸けた思いや精神を子や孫に引き継いでいきたい」とあいさつした。
その後、基調講演「復帰70年~朝潮と、その時代に学ぶ」などもありました。
もし、先人達が立ち上がって下さらなければ、現在の奄美群島に住む人々の生活は
どうなっていたんだろう?
ばばが社会人になってすぐの頃、職場で沖縄へ研修旅行に行くことになり
その時は、わざわざ現在の奄美市名瀬まで行ってパスポートを作ってもらったこと、
今でも忘れられない。
当時、沖縄ではドルが使われていたような思い出が・・・・
道路では「人は左側通行、車は右側通行」で、ビックリした。
現在も沖縄県では米軍基地問題とか色々あるけれど、
70年前、先人達が復帰運動に立ち上がって下さっていなかったら
奄美群島も・・・と考えたりさせられる。
奄美群島の日本復帰のために立ち上がり、尽力して下さった先人たちに
もっと、もっと感謝の気持を持たなくて・・・と思った。
今回、徳之島町からの招待を受け、久しぶりに帰省した、じじ従姉妹さん姉妹と
短い期間ではあったが、色々な事を語り合えた、4日間、
今年一番の思い出となるだろうなぁ・・・