つながる
10月7日(金)晴れ
今朝もセミが賑やか煮ていたので、洗濯をして、干し終わってから
桜の木の幹をキョロキョロ。
「声はすれど、姿は見えず」状態。
それでも諦めずに、彼方此方見ていたら、発見!
セミがどこにいるか分かりますか?
一番手前の幹の少し下方・・・木の幹と同化していて分かりにくいよね。
ばばが写真撮っている間も鳴き続けていたが、取り終わるとピタッと鳴き止んで
でも、飛び去るわけでも無く「ちょっと休憩」って感じでじいっとしてた。
でも、ばばが去ろうとすると「ジィ、ジッ」と発声練習のような鳴き方をして
又賑やかに鳴きだしたよ、日に日に涼しくなっていくだろうから
セミの鳴き声聞くことが出来るのも、あと、しばらくかな?
話題変わって、ほんのちょっとした一言から、次々繋がりが出来ていく・・・って事あるんですね。
たまたま夕べは、島外在住の義姉と電話をして、切ると同時に又電話が鳴った。
出ると、数日前から「Eちゃんに電話しようかな?」とじじとも話していたEちゃんからだった。
Eちゃんと、最後に電話してから、もう数年は経つ。
Eちゃんは、50年来、一番の親友。
最初の出会いは学生時代で、寮が同室だった。
卒業後も、お互いの結婚式に出席し、友人代表で挨拶させてもらったりする仲。
Eちゃんは島外に嫁いだので、直接会えることは滅多に無いが
それでも心は繋がっていると思っている。
そのEちゃんが、夕べ電話をくれた。
話を聞くと、昨日、Eちゃんの家に来た宿泊客にビックリしたとのこと。
そのお客さん(男性)が、Eちゃんに「あなたは、こちらの出身ですか?」と聞いたので
「徳之島ですよ」と答えたら、「えっ!じゃぁ、Nさんって知ってる?」と言ったんだって。
Eちゃんが「Nちゃんは、一番の親友ですよ」と言ったら
「じつは・・・・」と話し始めたらしい。
何と!そのお客さん、ばばの高校時代の同級生で、今は亡き、ばば兄に担任されたんだって。
ばばは、ブログに何回も書いているように高校は、兄と一緒に生活しながら喜界島で過ごした。
ばば達の高校時代って、男女仲良く語り合うとかいうことも、殆ど無く
女子は女子同士で集まって話したりしていたから、男子にどういう子がいたか?
数名、名前を覚えているくらいで、卒業後、同級生と会うことも無かった。
昨夜、Eちゃん宅に寄った方は、Oさんという名字で、
おじさんが、ばばやOさんが在学中、喜界高校に勤務していたって。
あぁ!!!O先生と、すぐに思い出した。
お姿と名前は思い出せたけど、化学?の先生だったかなぁ??
ばばは理数系が苦手で、化学では無く、生物を選択したから
直接教わってはいないけど、優しく声をかけて頂いたことは何度もあった。
まさか、あの先生の甥御さんが、50年以上の刻を経て
ばばの一番親友のEちゃんのお家に泊まり、そこで、ばばの話が出るなんて・・・・
話すなかで、何故か、ばばは「死んだ」ことになっていたらしい。
ばば兄は若くして亡くなったけど、兄とばばを混同していたらしい。
Oさんは、つい最近まで都会で働いておられたそうだが、
退職して、故郷、喜界に帰る途中、たまたま、ばばの親友宅に寄ったらしい。
兄と共に、ばばのことも覚えていてくれたんだね~とビックリした。
Oさんは、今朝の船で喜界島に帰っただろうか?
男子であるOさんのことは覚えていなかったけど、
Oさんと同じ校区出身だったTちゃんやMちゃんの事は、
未だに名前も顔もしっかり覚えている。
同級生で島に残っている子はいるかなぁ?
あのお店や、あのお宅は、まだあるかなぁ?等と
青春時代の3年間をを過ごした喜界島・・・・懐かしいなぁと
しばらく思いをはせた、昨夜のばばでした。
それと共に、亡き兄の奥さん(義姉)に電話をした直後に、
喜界高校出身の方が、亡き兄やばばの話を、ばばの一番親友にしてくれたって
繋がる・・・ということについても考えたばばです。