思い込み?
8月25日(水)晴れ
真っ青な空と白い雲。
陽射しが暑い徳之島です。
最高の天気だけど、じじは撮影に行かないんだって。
昨日でいくつか写してきたから、今日は休みって。
コロナ感染者の増加で、徳之島でも色々な制限が・・・
数日前から、町が管理するグラウンドとかにも立ち入れなくなって
撮影できる場所も川岸と、海岸と池の周辺。
それに今は、鳥も殆ど居ないって言うから、積極的に撮影に行く気にも
なれないんだよね、きっと。
「よし、よし、ゆっくり休みなさい」って事で。
じじは、いつもより少し遅れて自分でホットコーヒーを準備し
ばばが準備したフルーツやお菓子でゆっくり。
で、じじは、ホットコーヒーを飲む時は、牛乳を温め泡立てて
そこに熱いコーヒーを入れて飲む。
ばばは、牛乳はあっても無くても良いが、栄養のためと思って
朝食の時だけ30cc位の牛乳にコーヒーを入れる。
じじもばばも、牛乳が栄養面で良いと分かってはいても
あまり好きでは無く、牛乳だけ飲む事は、まず無い。
じじが何故牛乳が嫌いなのか分からないけれど
ばば自身に関しては、ある事がトラウマになってしまい飲めなくなった。
一種の思い込みかも知れないけれど。
長女が生まれる前、瀬戸内町の、ある病院で「牛乳は胎児の栄養にも、
お母さんにも良いから、なるべく飲んで下さい」と言われた。
たまたま加計呂麻行きのフェリーが出航するまで時間があったので
近くにあったお店で、初めて牛乳を買い、飲んだ。
直後に、もの凄くお腹が痛くなり、吐きそうになって慌ててトイレを探し駆け込んだ。
この時以来、牛乳には苦手意識を持ち、全く飲めなくなってしまった。
現職時代の38年間、一度も給食の牛乳を飲んだ事が無い。
こんなばばだけど、昨夕、ある先輩と話していたら
この先輩も牛乳が苦手との事。
以前からふたりで話す時、聞いてはいたが・・・昨日聞いた話では
低学年の頃だったか?下校前に湯飲みの一杯ずつ、牛乳(沸かしたミルク)を飲まされ
飲み終わらないと、先生が帰してくれなかったんだって。
そこで、ある日、先輩は家から小さな黒糖の塊をポケットに入れて隠して持って行き
下校前のミルクを飲む時、さっと口に入れてから牛乳を飲んだら
いつもよりスムーズに飲めた・・・・・って。
最近の牛乳は臭いもそんな悪くは無いけど、当時は牛乳の臭いも嫌でたまらなかったって。
最近、この先輩は何とか牛乳を飲めるようになったそうで
と言っても、飲む時は、ぐっと息を止めて、バリウムを飲む時のように
一気に飲むらしい。
ばばは・・・・子供の時は牛乳が好きだった?
ばばが、幼稚園生の時、脱脂粉乳を大きな鍋で炊いて?
それを大きなアルミ製?のやかんか、バケツに入れ
担任の先生が、子供達ひとりひとりの湯飲みに、小さい柄杓で入れてくれて飲んでいた。
後日、脱脂粉乳はユニセフから支給されていた?とか聞いたけど
詳しい事は分からない。
各家庭では、ご飯とお味噌汁、黒糖ぐらいしか食べられなかった時代
今では、味など覚えてもいないが、
幼稚園で飲む、変わった飲み物は、特別美味しかったんだろうね。
幼稚園で、初めて脱脂粉乳で作ったミルクを飲む日の前日、先生が
「明日は、お家から湯飲みを持って来てね」と言われた。
子供達は、全員、湯飲みを持って行ったと思うが
ばばは、何と、大きな丼を持って行き、ミルクを飲む時間を楽しみに待っていた。
いよいよ先生がミルクをつぎ分け始め、いよいよばばの方へ近づいてきた時
ばばはドキドキ。
隣の友達の小さい湯飲みを見ながら、自分の前の丼を見て
(先生、丼のいっぱい入れてくれるかなぁ?)と密かに期待していたが・・・・・
残念!と言うか、当たり前だけど、他の子と同じくらいのミルクを入れてくれ
次の友達のところへ行った。
ばば、難儀して、幼稚園鞄に入りもしない大きな丼を、よく持って行ったもんだね。
きっと、母に言わず、勝手に丼を持って行ったと思う。
母に見つかり、事情が分かったら、きっと厳しく叱られただろうなぁ・・・・
幼稚園時代、あんなに美味しかったミルク。
でも、ばば達は中学時代までも給食は無くて、お弁当を持って通学していた。
ばばが社会人になってすぐの頃から、給食ってあったのかなぁ?
学校給食が始まったのも、都会よりは大分後になってからかなぁ?
ばばが仕事を始めた頃の学校給食ででる牛乳は、箱入りでは無く
瓶入りでも無く、三角錐?のような形の物に入っていた。
ロングライフ牛乳の時代もあった。
その後、何年かして、今のような普通の紙パックに入った牛乳になったかな?
親しい先輩と「牛乳嫌いだった」という共通話題でお喋りを楽しんだ、ひとときでした。