大好きだけど寂しい・・・
4月2日(木)晴れ
今日は天気も回復したので、昼からは実家のお墓参りに行って来た。
お詣りするお墓は3カ所。
いつも最初に行くのは長姉のお墓。
姉のお墓に手を合わせ、車に戻る時、必ず目に入る風景・・・
それは懐かしい母校(小学校)と、その周辺の風景。
何回も見ているけれど、やはり見ると写真を撮りたくなる。
今日も数枚撮ったけれど、「これ!」というのは無くて、残念。
曇っているのに眩しくて、画面がはっきり見えなかった。
今度、快晴の日に行けたら、又取り直してこよう。
実家のお墓に行った時は、やはり過日の「イモリ」が気になり
線香立ての下を覗いたり、バケツの下やブロックの穴を覗いたりしたけど
やっぱり、当然と言えば当然、
奇跡はおきるはずも無く、ガックリしながら実家へ。
庭を見ると、雑草がボウボウ生い茂って足を踏み入れるのも怖い位。
一応、去年からシルバーさんにお願いはしてあるけど、都合が付かないらしく
もう、半年近くほったらかし。
天気を見ながら、自分達で除草剤でも撒こうかなぁと思いながら帰って来た。
沢山の思い出の詰まった実家を、こんなに荒らしたら
父や母が悲しむだろうなと思いながら、ついつい他人任せにしていたけど
やっぱり自分が動かなくちゃダメだよな・・・
2週間おき位に通って、雑草が少し伸びたらすぐに、やっつけよう。
綺麗にしておかないと、ハブが住み着いたりしたら、それこそ大変!
天気予報を見ながら、早いうちに動きだそう!
姉の婚家まで行って、様子を見て帰って来たけれど
今日も、集落内を移動している間、子どもの姿は全然見えなかった。
たまたま姉の友達が外仕事をしていたので、車を止めてしばし雑談。
雑談していると、親戚のお兄さんが電動カーで通りかかり
少しだけ言葉を交わした。
実家へ行く度に思う。
半世紀ほど前までは、活気に溢れた集落だった。
子どもも、若い青年達も沢山いた。
年中行事も盛んで、まさか今のような寂しい時代が来ようとは思いもしなかった。
でも、沢山の若者は卒業と同時に都会へ出て
帰ってくる人は殆どいない。
ばばの実家集落の今の人口は何名位だろう?
100名もいないかも知れない。
そのうち、小・中・高校生の子ども達の数は?
10名もいるだろうか?
海も山も綺麗だし、集落の人達は、皆優しいし・・・
大好きな実家集落だけど、
現実問題としては、若い人がいない、大きなお店が無い、病院まで行くのも
家族や自分で運転して移動できる人は良いけれど、
バスも1日数本しかないから、タクシーを使うとなれば、経済的にも大変だ。
今、徳之島島内では同じような問題を抱えている集落も多いと思う。
色々な事で便利にはなったけど、反面失われた物も多い。
時代の流れ・・・と一言で決めつけてはいけないと思うけど
大好きな実家集落へ行く度に何とも言えない寂しさを感じる。
自分が年とったせいだろうか?
自分で運転できる間は、実家集落へ通いたい。
でも、あと何年通えるだろうかと思うと、何だか切ないなぁ・・・