娘を待つ・・・・

7月23日(水)晴れ
夕方5時半前後、ばばの車は実家集落への坂道を上る。
メインストリートから右折。
200メートル足らずで実家だ。

細い細い路地を左折、自宅の門に車を入れる。
庭には、ビールの空きケースに座った母の姿が・・・
母は、「お帰り」と最高の笑顔でばばを迎える。
ばばより先に立って、室内に入る母。
ばばは、仏壇に行き、3年前に亡くなった父に手を合わす。
母は、食台にご馳走を並べて、ばばが座るのを待つ。
その日1日あったこと等を話しながら、母と共に食事をする。
母のご馳走は、毎日「アンバソーメン」。
それに、卵焼きが付いたり、豚肉の炊いたのが付いたり
野菜の煮付けが付いたり・・・・
1時間足らず、母と至福の時間を過ごし、
ばばは「明日、又ね〜〜〜」と、車に乗り込む。
門の外まで出て、母は手を振り続ける・・・・

土・日、長期休業(夏休み・冬休み・春休み)以外は
毎日、母と一緒に夕食をいただいた。
至福の時間は、ばばが天城町の職場に勤めていた
7年間続いた。
もう、20年も前の話。

当時、ばばは実家集落の隣町に勤務していた。
職場の行き帰りは、必ず実家集落近くを通って通勤していた。
朝は、職場へ急ぐことが優先だったが
帰りは、毎日実家へ寄って母と談笑し、食事をして帰宅した。
その時、毎日、母がばばのために作って待っていてくれたのが
アンバソーメン。
作り方は、極々簡単。
茹でた素麺の茹で汁を軽くきり、1度温めた油を少し入れて
混ぜるだけ。
素麺自体の塩味と油がマッチして、とっても美味しかった。
母は、来る日も来る日も「アンバソーメン」を作り
ばばの車の音が聞こえるのを待っていた。
キビ畑の向こうに、ばばの車が見えると
わざわざ門まで出て迎えてくれることもあった。
ばばの仕事が終わるのは5時。
後始末をしたりして、いくら遅くても6時までには実家へ着くようにした。

その3年前に父が亡くなり、母はひとり暮らしの日々。
ばばが寄るのを、一番の楽しみに、日々過ごしていただろう母。
1秒でも早くばばに会いたいと、寒い冬の日も、灼熱の夏の日でも
庭に出て、ビールケースにちょこんと座っていた、小さな母の姿。
ばばを喜ばそうと、80を遙かに超した母が毎日作ってくれたアンバソーメン。
時には、アンバソーメンや他のおかずを、じじや我が家の3姉妹のためにと
お土産に持たせてくれることもあった。
母の作るアンバソーメンは、とてもシンプルながら
同じ味のを作ろうと、ばばがいくら頑張ってもダメだった。
これぞ、「明治生まれのお母さんの味」だった。
ばばは、いくらでも、母と一緒にいたかった。
でも、ばばには家庭がある。
部活動指導で帰りの遅いじじ、3人の娘達。
帰りながら買い物をし、夕食の準備をしなければならない。
だから、母と一緒に過ごせるのは、せいぜい1時間が限度だった。
車の中でも、ばばはその日の夕食の献立を考えたり
翌日の仕事のことを考えたり・・・・・・・
そんな後ろ姿を、母は門に立って、ばばの車が視界から消えるまで
手を振りながら見送っていたそうだ。
たったひとり、取り残される母。
毎日どんな気持ちで、ばばを見送っていただろう。
迎えるときと同じように、笑顔で手を振ってはくれたけど、
きっと、心の中は言いようのない寂しさに満たされていただろう。
背中が曲がり、ばばの肩よりも小さくなっていた母。
そんな母だけど、ばばの大事な研究会や行事の前は
必ず「キバレよ!ウナグ!(女)」と励ましてくれた。
母がそう言ってくれると、何故かスッと気が軽くなり
色々な難関も乗り越えられそうな気がし、実際乗り越えた。
又、ばばの仕事が上手くいったことや、上司に褒められたことを話すと
それは、それは喜んでくれた。
「親って、凄いなぁ」「親ってありがたいなぁ」と
いつも感謝していたが、直接、口で伝えることはあまり出来なかった。
父よりも厳しかった母だけど、あの母の厳しさがあったからこそ
今のばばがあると、つくづく感謝する日々・・・

20年経って、今、大好きな父と母はいつもばばのすぐ近くにいる。
仏壇の中から、いつも穏やかな顔で
じじやばばを見守ってくれている。

ばばの「おふくろの味・アンバソーメン」は
ばばにとってかけがえのない、思い出と共に
世界で一番美味しい「麺料理」だ。

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