限界集落
5月3日(土)晴れ
何故か「限界集落」という言葉が頭に浮かび気になったので
ネットで調べてみたら,次のようなことが書かれていた。
「過疎などによって、65歳以上の高齢 者の割合が
50パーセントを超えるようになった集落。
家を継ぐ若者が流出して、冠婚 葬祭や農作業における互助など、
社会的な共同作業が困難になった共同体。」
これは・・・!正にばばの実家集落なども当てはまる。
去る4月30日に、姉と実家のお墓参りに行った。
ついでに、実家の様子も見て来た。
まず、姉の婚家の様子を見て,それから実家へ寄った。
いつもの、のんびりとした風景。
裏道から実家へ行く時は,必ず海を見ながら進む。
小さい頃「オロギバンタ」と言っていた場所・・・・
海が一望できる場所。
小学生の頃は運動会が近づくと、全員「オロギバンタ」に集まって
応援の練習をしたり、短距離走の練習などもしていた。
当時運動会は「集落対抗戦」だった。。
集落対抗が出来るほど小・中学生の数も多かった。
ばばの同級生は.同じ集落だけでも20名近くはいた。
小学校は4つの集落の子供達が通っていた。
集落毎に応援旗やハチマキの色も違っていてばばの集落は「紫色」だった。
賑やかだったなぁ・・・・
正月前にはオロギバンタでは男の子や若い青年達が
手作りの凧を飛ばした。
タタミ1枚分ほどもの大きさな凧が,ばばの実家の上を
ブンブン音を立てて幾つも飛んだ。
家の新築・農作業・冠婚葬祭など、集落の方々が
協力してくれた。
若者もたくさんいて作業に中心になって頑張っていた。
でも・・・今はどうだろう?
ほとんどの若者は高校卒業と同時に都会へ出て行き
大学へ進学し、仕事に就き、都会で結婚し,
根を張り、島へ帰ってくる人は少ない。
島は仕事が無い。
仕事が無いというのは言い過ぎだが、やはり経済的に
島で生活するのは大変なことも多い。
若者のしたい仕事が,島より都会の方が圧倒的に多い・・(と,ばばは思っている)
若者はどんどん都会へ流れ、島には高齢者が残される。
ばばの実家周辺を見ても、空き家が多い。
人が住んでいても、80歳前後の高齢者が多い。
高齢者のひとり暮らしも多い。
ざっと思い浮かべてみても3,40代以下の若者世帯は
10軒に満たないのではなかろうか?
ばばの母校の校歌に「・・・学びの友の500余が・・・」という歌詞があるが
現在,母校の児童数は「30余名」だそうだ。
寂しいなぁ・・・・
今後、どんどん児童数はじめ人口が減ったら・・・
あと、10年後・・・実家集落はどうなっているんだろう?
学校はあるだろうか?
「限界集落」と言うけれど、「減壊集落」という字も当てはまるような気がする。
「減って」「壊れて・・・・」
寂しいけれど、現実になるかも知れない。
これが、ばばの幻想であることを祈るのみ・・・・