歯
4月9日(火)晴れ後曇り
ばばは、歯に関するトラブル?が多い。
過去に、2回は抜歯後に生死の境をさまようような事も経験した。
じじと結婚してすぐの頃だったと思うが
今から30年以上も前、歯の治療で行った歯科医で抜歯してもらった。
その後にトラブルは起こった。
抜歯後の出血が止まらない。
消毒をしてもらったりして帰宅したが,出血は止まらず
熱も出始めた。
抜歯した先生はわざわざ自宅まで往診して下さった。
そして、このままでは危ないからと
鹿児島の病院へ紹介状を書いて下さった。
ばばは、その翌日、鹿児島へ飛んだ。
その時、誰か一緒に行ってくれたか,自分ひとりで行ったか覚えていない・・・
鹿児島の大きな病院の歯科で診察を受け、薬をもらい服用して
大事に至らず一件落着した。
これより以前に,本当に生死の境をさまようような事があった。
じじと結婚して3年目だったかな・・・
加計呂麻で仕事をしていた時のこと。
歯が痛くなり、海を越えて古仁屋まで行き抜歯した。
帰宅後、又熱が出始めた。
40度近い高熱になった。
何が原因か分からないまま、ばばは仕事も休んだ。
上司が,ばばの熱が下がらず、口も開けにくくなり
更に、首も回らなくなったのを見て心配し、
「敗血症かも知れないなぁ。
今日、瀬戸内町の巡回診察船が来るから是非受診しなさい」と言われた。
当時、医療機関の無かった加計呂麻では
定期的に町の診察船が各集落に回ってきて、
簡単な診察や投薬をしてくれた。
ばばを診察したお医者さんは,「すぐ古仁屋の病院へ行きなさい」と指示した。
じじが付き添って、古仁屋の病院へ行き、
注射とか点滴とかの治療を受けたが、そのまま入院することになった。
しかし、じじは古仁屋から加計呂麻へ行く夕方の船で、帰らなければならなかった。
当時、生後9ヶ月の次女も一緒に生活していたから。
それで、ばばだけ入院し,じじは帰ることになったのだが・・・・
幸か、不幸か、じじは定期船の出航時刻に遅れてしまい病院へ戻ってきた。
その晩は、じじも病室に泊まり翌朝1番の定期船で加計呂麻へ帰ろうと思ったんだって。
じじが、病院へ戻ってきた頃、ばばは体中が痛くて呻き続けていた。
ばばの周囲には年配の方も数名おられたが
ばばがあまりに呻くものだから「若いくせに,こらえ性が無い」というようなことを
これ聞こえよがしに言った。
でも、我慢できないものは出来ないよね・・・・
ばばにとっては,お産の時より苦しく,痛かった。。。。。。
じじが、当日出張から帰ってきたばかりの院長先生を呼んできてくれた。
院長先生はばばを診て、初めて「破傷風です。」と診断。
夜だったと思うが、現在の奄美市にしか血清がないということですぐに連絡。
病院や薬局にある血清を掻き集め、曲がりくねった山道を
タクシーでリレーし、何とか古仁屋まで届けてもらった。
1分1秒を争うような事態だったようだ。
血清が到着するとすぐ、ばばに注射。
ばばは、ここまでしか記憶は無い。
後日聞いた話では、血清は通常の数百倍も打ったそうだ。
血清注射後、ばばは3日間意識が無く眠り続けたそうだ。
カーテンを引いて真っ暗にした部屋で。
徳之島からは、ばば姉とばばの父が駆けつけてくれた。
その頃、生後9ヶ月の次女を隣近所の方々に預け
じじも、暇を見ては病院へ駆けつけてくれ、ばばの目覚めを待った。
最初の晩が「山」で、そこを持ちこたえたら大丈夫だろう・・・
と言われていたらしい。
意識の無かったばばは、何も分からなかったが
じじを始め、家族、職場の上司や同僚、集落の方々には
大変な心配をかけてしまった。
集落の方々の中には、ばばはもう助からないと思った方もおられたようで
「逝くばばちゃんは良いけど、
残されるじじさんと子供さんが可愛そう」と涙しておられたんだって。
奇跡は起こった!
意識不明になって4日目、ばばは目覚めたのだ。
まず、じじの顔が目に入った。
次に父と姉の顔が見えた。
じじ、父や姉の何とも言えない穏やかな顔を見た途端
ばばは「この世に戻れた!」と実感した。
あれから、30年以上過ぎた。
やはり、歯に関しては自信が無い。
数年前、旅行帰りにキャリーバッグの角にしたたかほっぺたをぶっつけ
その拍子に,元々弱っていた歯が一気にグラグラになり
2,3本抜歯してもらった。
丈夫な歯は数えるほどしか無いばば。
若い頃から歯に関するトラブル?で悩まされてきたばば。
もっともっと若い頃から歯を大事にしておけば良かったなぁ・・・と
今頃思うけど、「時、既に遅し。」
「後悔先に立たず」とも言うね。
「親孝行したい時に親は無し」と言うけれど、
「歯の大切さ、気づいた時は総入れ歯」・・・なんて悲しいね。
残された貴重な歯を大事にしなくちゃ・・・・