許せる?あの発言
2月7日(火)曇時々晴れ
昨日は我が家の三女、ピカちゃんの誕生日。
ブログも書こうと張り切っていたが
朝10時過ぎに義母が入院していた病院から電話。
「今日退院ですけど、連絡行っていますか?」って。
どこからの連絡?
退院許可を出すのは病院だから、病院から連絡が来るはず。
その病院から「退院の連絡が行っていますか?」って。
聞いていないよぅ〜〜。
「退院は何時頃ですか?」と聞くと
「もう施設の方から迎えに来ています」って。
作業着に着替え、張り切って倉庫の片付けをしようと思っていたが、
出鼻をくじかれた感じ。
「じゃ、これからすぐにそちらへ行きます」と答え電話を切った。
着がえ、支払いの用意をして、車で病院へ。
義母の病室へ行くと、もう施設の方が荷物をまとめたりしてくれていた。
義母は、退院ということが分かっているのかいないのか
ベッドで寝ていたが、耳元で「お母さん、もう、退院して良いんだって。
Sさんが迎えに来てくれていますよ」とばばが声をかけ、
Sさんが「帰りましょうね」と声をかけて車いすに乗せた。
その後、義母は一足先に施設の職員さんが付き添ってくれて施設へ。
ばばは、支払いをしたり、施設で飲む薬をもらったりして後を追った。
思えば・・・・約3週間の義母の入院だった。
1月17日朝、施設の方から「義母の具合が悪いので
病院へ行きます」と電話があり、じじとばばも急いで駆けつけた。
義母は熱が38度台の熱もあり、意識も朦朧としているようで大分心配した。
肺炎を発症しているということで、レントゲン検査やCT検査をして、
すぐに点滴が始まった。
鼻には適度な酸素を送るための細いビニルホースのような物をつけ
目を開けることもあまりなく、
今にも義母が消えてくような恐怖に襲われたばば。
朝は、じじが、昼・夕方は姉とばばが一緒に行ったり交代で行ったりして
義母を見舞い、様子を伝え合った。
高熱のせいで食欲はなく、被害妄想が出たりして
普段の義母と人が違ったような言動もあった。
病室へ入るたびに胸がどきどきした。
入院から約10日くらいで点滴や酸素補給の機具も外された。
最初ほとんど食欲もなかったが、日を追う毎にご飯は完食するようになり
おかずを食べる量も少しずつ増えていった。
意識がはっきりしている時は、ばばに
「ばばちゃん、ありがとう。あなたにだけ迷惑かけてごめんね」と
何回も感謝の言葉といたわりの言葉をかけてlくれた。
施設では、3回の食事と2回のお茶の時間は
必ず食堂へ移動するが、病院ではずぅっと寝たままの生活だった義母。
退屈だったし、体もきつかっただろうな。
じぃっと寝てばかりで、いろいろなことを考えていたんだろうなと思うと
義母が不憫で、哀れで・・・ばばの中でいろいろな感情がごちゃ混ぜになった。
早く元の生活の戻って欲しい!じじとばばの願いが通じたのか
約3週間の入院で、やっと昨日退院の日を迎えた。
正直、ホッとし、嬉しかった。
集団生活の中で運動能力も少しずつ回復していくことを願う。
介護施設まで母を送り届け、ばばは帰ってきたが
「インフルエンザが流行っているので、施設への見舞いはご遠慮願います」
と、施設玄関には張り紙がしてあった。
毎日は見舞いに行けなくなってしまった。
でも、見舞いに行った時は入所者を玄関まで呼んで来てもらって
玄関で会うことは出来るそうだが、
義母が寝ている時に訪ねていっても悪いような気がするし、
時間調節が難しいなぁ。
食堂へ向かう母を玄関で待っていて会うしか出来ないかな?とじじとも話している。
三女の誕生日に「義母の退院」という大きなプレゼントを
もらったような気がした昨日だった。
昨日のニュースで
ある政治家が、胃ろう措置を見学した際の感想として
「人間に寄生しているエイリアンが人間を食べて生きているみたいだ」と発言していた。
このニュースを見て、ばばは非常に腹が立った。
これが、政治家の言葉?
義父も「胃ろう」措置をして、2年以上になる。
嚥下障害が始まり「誤嚥」をするので仕方なく
「胃ろう」措置をしてもらったのだ。
施術前より栄養状態も良くなり、顔色も良くなった。
「胃ろう措置」については賛否両論があるだろうが
話すことは出来なくても、毎日見舞うじじや、ばば、姉の語りかけは
きっと父に届いていると信じている。
大好きな父が「そこにいる」というだけで嬉しい。
世の中にはいろいろな障害で食事が出来なくなり
「胃ろう」で命を繋いでいる方達も多いと思う。
必死に命を繋いでいる患者さん、患者さんを見守るその家族に対して
「・・・・エイリアン・・」発言は許しがたいと思うのは、じじやばばだけだろうか?