9月20日(火)曇り時々雨台風15号の余波あり
兄はばばが高校を卒業して、2年後結婚した。
ばばが居なければ、もう少し早く結婚していたかもしれない・・・

結婚して女の子が誕生。

兄は、その後、奄美市・国分・鹿児島市と転勤した。
その間、ばばも卒業し就職、結婚。
結婚し、子供が生まれてからも家族で兄の家を訪ねた事が何回もあり
その都度、代歓待してもらった。
じじと嬉しそうに晩酌をしながら語らっていた兄の姿が懐かしい。
男兄弟の居なかった兄にとって、
じじは可愛い弟のような存在だったんだろうね。

どこまでも温厚な兄だったが、
仕事にはいつも始発で出勤していたそうだ。

昭和63年4月。
兄は高校から県立図書館へ転勤した。
部署が「地方奉仕課」というところで、
これからは、おじいちゃんおばあちゃん達と交流できると
大変喜んでいたそうだ。
兄は高校から島を出て、仕事も高校勤務だったので
なかなか島へ帰ることができず、
年老いた両親のことを凄く気にしていたのだそうだ。
ゆくゆくは、島の高校で定年を迎えたいというのが
兄の希望だったと思うが、その夢は果たされることが無かった。

転勤からわずか半年後の9月。
出勤前に歯磨きをしていて、急に体調が悪くなり兄は救急車で病院へ。
仕事中のばばに一報が入ったのは朝の9時過ぎだった。
奇しくも、ばばは「命の大切さ」について子供達に語りかけていた時だった。
電話を受けた時は信じられなかった、イヤ、信じたくなかった。
すぐに家に帰り、旅支度を調え姉と二人飛行機に飛び乗った。
しかし・・・・病院へ駆けつけた時、
兄は気管切開をされ、既に意識は無くばば達の呼びかけに答えることは無かった。

それから5日後、兄は遂に遠い旅へ旅立ってしまった。
それまで「身内の死」に立ち会ったことの無かったばばを
筆舌に尽くしきれない、悲しさ・悔しさが襲った。
「人の死」ってこんなにあっけないものなのか?
兄の枕元で、涙が涸れるほど泣いた。
たった一人の兄さん。
暴走ばばを、いつも見守り適切なアドバイスで
ばばを導いてくれた兄さん。
いくら泣き叫んでも戻らないことは分かっていても
ただ泣くだけしかできなかったばば。
心ならずも最愛の妻子を残して先立たなければならなかった兄。

答えは期待できないのに、どうして?どうして?と
繰り返さずにはいられなかったばば。

年老いた両親・まだ若い奥さん・二十歳を目前に控えた愛娘を残し
先立った兄本人が、どんなにか悔しかったか察するに余りある。

兄夫婦は本当に仲が良かったし、一人娘を溺愛していた。
残された姉母子の、兄亡き後の心中も又察するに余りある。

兄の葬儀の日に義姉のお兄さんからばば達に
「お兄さんは亡くなったけれど、
これからも今まで同様、妹(義姉)と仲良くして欲しい」と言われた。
その言葉をばばは決して忘れない。
今でも姉を尊敬もしているし、頼りにもしている。

兄が亡くなって、昨日で23年。
幾多の風雨に耐え姉は一人で本当によく頑張った。
その間、一人娘Aちゃんも結婚し、二人の女の子の母親として幸せに暮らしている。
今のAちゃん夫婦や、Aちゃんの子供達を兄が見たら何と言うだろう?

じじとばばも話す。
兄に可愛がってもらった我が三姉妹の成長した姿を兄に見てもらいたかったねって。

優しかった兄。
だから、今はいつでも天国から姉やAちゃん家族、
そして、ばば姉や、ばばの家族を見守ってくれていると信じている。

夕べ電話の終わりに姉は言った。
「ばばちゃん、夫婦の仲が良いのが一番よ。
何と言っても最後は夫婦だよ。
だからじじさんを大事にし仲良くしてね」って。

兄亡き後、一人で23年間頑張り、耐えてきた姉の言葉だけに重い。
最近、やたらと強気になり、じじを虐げているばば。
ちょっと、この辺で反省しなければいけないかなぁ?

 

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