・・・・・・14年

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7月16日(木)晴れ

最愛の母が逝って今日で丸14年。

お墓参りに行ってきた。

14年前の7月16日も焼け付くような暑い日だった。

体中が痒いと言い、入院させ「疥癬」と誤診され、

間違った薬を40日くらい点滴で体に入れられ

アッと言う間に体力も衰え・・・・

最後は人工呼吸器まで付けられた痛々しい姿だった。

(あの時、入院させなければ、もっと長生きしてくれていたのでは)と今でも悔やむ。

「ごめんなさい、お母さん」

ばばは、5人兄妹の4番目で、下の弟が入園前に麻疹で亡くなってからは

ばばが末っ子で・・・・

お母さんはとても厳しく、その厳しさに高校生になって親元を離れるまで

ずっと反抗的な態度を取ってきたばばは、自分を反省する。

すべての面で子ども第一で、自分は食べたい物、着たい物も

我慢していたんだね。

自分が親になってみて初めてお父さん、お母さんの偉大さ有り難さが分かるようになったよ。

お客さんの前での座り方が悪いと太ももにアザが出来るほどつねられ、

髪の毛が少しでも眉にかかると即、眉の上の長さでカット。

前髪を分けることも、ピンで留めることさえもさせてくれなかったね。

お洒落は大人になってからいくらでもできる、今、あなたがすべきことは何か?と

常に言い聞かされたね。

日常生活でも悪いことをすると、叩かれ、つねられ・・・

そうするあなたの真意も知らず、恨み、反抗し続けたばば。

口答えをすれば怒られるので、態度で反抗していたね。

例えばお母さんの前を歩く時わざとどんどん足音荒く歩いたり・・・

せいぜいこのくらいしか反抗できなかったけれど。。。

 

今でも思い出すたびに涙が溢れそうになる思い出がいくつかあるけれど

その一つが「黄色いセーター」。

せっかく学芸会の主役に選ばれて黄色いセーターを着なくてはいけなかったけど

そのセーターがなく、普段着で当日を迎え、本番の数分前に

楽屋に黄色いセーターを届けてくれたお母さん。

今のように、近くに店があるわけで無し

お母さんはあのセーターをどのようにして入手したんだろう。

お金はどのように工面したんだろう。

何とかして娘の晴れ舞台に間に合わせようとあなたがどのくらい心を砕いたことか、

考えただけで涙が出てくる。

もう半世紀も前のことなのに・・・・

苦しい生活の中、まだ女の子で大学まで進む子が少なかった時代に

「教師になりたい」というばばの夢を叶えるべく進学させてくれた。

自分たちが農業をしていたので子どもたちには、このきつい肉体労働を

させたくないと思っていたのね、きっと。

今のように機械化された農業ではなく、朝から晩まで働きづめだったね。

だから、ばばが物心つく頃から「教師という仕事がいかに立派な仕事か」と

ずっと言い聞かされ、ばばもすっかり術中に嵌ってしまったね。

お父さん、お母さんは「教師限定」と言うわけではなく、

公務員になってほしいと思っていたのかなあ。

ばばは、念願通りの職に就き、思い通りの仕事が出来たよ。

そして、たくさんの教え子、保護者、上司、同僚という宝物を得たよ。

就職して2年目に、当時珍しかった車の免許を取りたいと言ったらすぐに許してくれ

車もすぐ買ってくれた。

当然のことだけど、ばばが成長すると共に、お母さんは年老いて立場が逆転してしまった。

何でも、ばばに相談してくれたもんね。

ばばを頼ってくれて嬉しかった反面、弱くなったお母さんを感じ寂しかったよ。

そして「これからは、ばばがしっかりお父さんお母さんを守ってあげよう」って思った。

数年後、お父さん、お母さんのオメガに叶った「じじ」と結婚でき

じじが又ばば以上にお父さんお母さんに孝行尽くしてくれて・・・・

ばばは幸せ者だね。

小さい頃、お母さんに厳しく躾てもらったからこそ

今の自分、幸せがあると信じているよ。

だからお母さんにはいくら感謝してもしきれないと思っている。

もう少し一緒にいて、孫たちの成長を見守って欲しかったけど・・・・

家の三姉妹の心の中にもきっと強烈な印象で

「花徳のばあちゃん」は生き続けていると思うよ。

今日、お墓の前でお水を替えたりお線香を手向けたりしながら

目の前にお父さんお母さんを感じたよ。

住む世界は違っても、いつもばばや家族を見守っていてくれているよね。

お父さん、お母さん、ばばは二人の子に生まれたことを

いつも誇りに思うし、感謝しています。

月並みだけど、ありがとう・・・・・・・お母さん。

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