せつない・・・なぜだろう?
1月4日(水)曇り
あっという間に三が日も過ぎました。
今年のお正月は、かつての教え子ちゃんが、わざわざ訪ねてきてくれ
とても、とても楽しい時間を過ごすことが出来、嬉しかった。
昨日も、ばばは「Rちゃんはね・・・」とか、何回もじじに話した。
そのRちゃんも、今日は又、都会へ戻って行く。
何故か、ばば自身と重なることもあって、
朝から「今頃,Rちゃんは空港へ向かっているかなぁ?」とか思ったり
飛び立つ飛行機に向かって手を振ってるような気持ちになったり・・・
我が家の娘達が、帰省して、又それぞれの職場へ戻っていく時も
空港まで送ってから、じじとばばは少し移動して、
離発着する飛行機の見える場所へ向かい
娘達の乗った飛行機が飛び立つと、機影が視界から消えるまで
大きめの布とかを振ったりして見送っていた。
窓側に座っているのか?反対側に座っているのか?
滑走路から、じじとばばの居る位置が分かるのか分からないのか・・・・
多分分からないとは思いながらも、ずっと見送っていた。
船での別れと比べると、飛行機での別れは呆気ないけれど
それはそれで又寂しい。
でも、仕方ないね、それぞれの生活があることだし
帰省した子ども達が、又戻って行く・・・・
「見送り」と言えば、ばばは自分の父を忘れることが出来ない。
これまでもブログに書いたが、高校から親元を離れたばば。
休みなどに帰省して、又、戻って行くときは殆ど船で移動した。
ばばが戻って行く日、父は実家の裏手にある海が目の前に見える高台で
焚き火をし、はるか沖行く船に乗っているばばを見送っていたそうだ。
画像は過日撮った、その高台です。
父が居る位置と、船の航路の位置関係を考えると
焚き火の煙は、きっと見えないと思うけれど
それでも、父は毎回、焚き火をしてばばを見送ってくれていたそうだ。
これは大分経ってから聞いたことで、初めて聞いた時は
父の、ばばに対する愛情の深さと心情を思い、胸が痛くなり涙ぐんだ。
我が家の娘達が、演奏会とかで船で島外へ行く時は
ばばを見送ったときと同じ場所で、同じ方法で見送ってくれていたそうだ。
父が亡くなって、もう30年過ぎた。
でも、実家へ行って帰りしなに、この高台を通るときは車を駐めて
目の前の海を眺めることが多い。
そんな時、今は亡き父が、この場所で沖行く船に乗った子どもや孫を
見送っているような気がして、胸詰まる思いになることも多い。
親からもらった愛情って、本当にいつまでも子どもの心に残っているんだなぁと実感する。
今日、都会へ戻って行ったRちゃんも、自分が生まれ育った島の豊かな自然や
ご両親の無限の愛情を忘れることなく、日々過ごして欲しいなぁと思ったばばでした。