徳之島大好き!
3月9日(水)晴れ
今朝は、まず洗濯して、裏の空き地に除草剤撒いて・・・からスタート。
青空が、あまりにもきれいで、朝からやる気満々。
一段落して、撮影に出かけるじじを見送って、暫く経ったら島外で暮らす友人から電話が!
この友人、徳之島で暮らした期間は短いけれど「徳之島、大好き」と、よく言ってくれる。
ばば、中学生の頃までは、都会に憧れていた。
と言っても、「将来の夢は島で教師になる」だった。
ばばの同級生は、殆ど都会へ出て行った。
ばばはベビーブームと言われる年代で、同級生もとても多かったが、
殆ど都会へ出て行って、就職、結婚し、島に残った同級生は少なかった。
ばばは、高校時代に喜界島で3年間、短大時代に鹿児島で2年間、
じじと結婚してから仕事で行った加計呂麻で4年間、
そして退職前に単身赴任で加計呂麻生活3年間の合計12年間は島外で暮らした。
それ以外は、ずっと徳之島で生活しているし、徳之島大好きである。
島で生活できたおかげで、両親と過ごした時間も長いし、
色々かけがえのない思いでも沢山出来た。
たまたま、去る3日朝、お墓周辺の雑草が気になり、
除草剤を撒いてこようと、徒歩で出かけたら徳之島高校の門に立て札?が・・・・
(あぁ~今日は入試だったのか)と思いながら、お墓へ向かった。
立て札を見た途端に、何故か自分の高校時代を思い出した。
初めて親元を離れ、見知らぬ土地へ・・・・・不安もいっぱいだった。
でも、兄と一緒の生活だったから、ある意味、寂しさは紛れた。
兄との生活のおかげで、ふたり分のお弁当作ったり、朝晩の食事を作ったり
将来役立つこと・・・・ご近所づきあい、家計のやりくり、家事など
色々勉強できたと、今では感謝している。
徳之島とは違う環境の中で生活した3年間の高校生活。
沢山の方々に色々教えていただき、支えてもいただいた。
最初の頃は、喜界島の水が合わず、皮膚が紅くなったりして、しばらくは大変だった。
喜界島には、徳之島のような山が無いのにもビックリした。
高校卒業後は、同級生と会うこともできなかったし、喜界島へ行くこともなかった。
変わっているだろうな・・・喜界島、行ってみたいなぁ、喜界島。
何故か、徳之島高校の門に立てられた立て札を見ながら
ふと、青春時代を過ごした喜界島のことを思い出していたばばでした。