寂しいなぁ

10月10日(日)曇り時々陽射しあり

撮影から戻ったじじに「今日の海の様子はどうだった?」

と聞くと「大時化だよ」って。

10月になってから穏やかな海を見たかなぁ・・・と思いながら昼食。

食事が終わって、何故かばばが「桃太郎」の歌を歌い出した。

次に「金太郎」そして「一寸法師」の歌と次々と、

これらの歌って、学校で習った記憶は無いけれど

何処で覚えたんだろう?

それにしても・・・60年以上も前に歌っていた歌の歌詞が

すらすらっと出てくるのも不思議。

ばばが所々歌詞を忘れると、じじが、すぐ歌い出す。

ついさっきの事とか、すぐ忘れるのに、

何故、昔々、歌っていた歌の歌詞は覚えているんだろう?

今ブログを書きながら「他に昔話の歌は無かったかなぁ?」と考えていたら

「浦島太郎」の歌もあったなぁ・・・

「こぶとりじいさん」の歌も・・・といくつか思い出した。

それにしても、色々な楽しい昔話を考えた人たちって凄いなぁ・・・

とか思っていたけど、上に書いた昔話の歌を子供達が歌っていたのは

何年前頃までだろう?

ばばが子供の頃の遊びと言えば、鬼ごっこ・かくれんぼ・おはじき・ビー玉遊び

ケンケンパ・縄跳び・お手玉・カルタ取り・花いちもんめ・あやとり・水鉄砲等々・・・・

子供の殺していた遊びを、こうして書き並べてみると、

けっこう色々な遊びがあったんだなぁ。

今でもいくつかの遊びは、残っているかなぁ?

今の子供達はどんな遊びをしているんだろう?

時代と共に、子供達の遊びも変わってきているだろうなぁ。

時間の流れと共に、色々なことが変わってきているけれど

過日、家の前の道路で写真を撮って、画像を見て

「この通りも変わったなぁ」とつくづく思った。

徳之島高校の前から、亀津の町の中へ続くこの通りを「中央通り」と言っていた。

10数年前頃までは、この通りを、もう少し先へ進むと、両側には旅館やお店が沢山あった。

衣料品店、パン屋さん、家具屋さん、お菓子屋さん、雑貨店、文房具店

畳屋さん、履き物屋さん、金物屋さん、写真屋さん、お土産品店、手芸屋さん

ラーメン屋さん、金融機関等々・・・・・

しかし、海岸が埋め立てられ、道路も広くなり

時代の流れと共に、お店も、殆ど埋め立て地の方に移転した。

その結果、一番栄えていた「中央通り」は、シャッター街となってしまった。

車で走っても、戸が開いているお店は数えるほどしか無くて、とても寂しい気がした。

後継者がいなかったり、スーパーで色々な品物が買えるようになったりとか

色々な理由はあるだろうけど、活気のあった「中央通り」を

知っている年代の人たちにとっては寂しいだろうなと思う。

以前は夏祭りのパレードも中央通りを通っていたが、

今は埋め立て地の通称「16メーター道路」に変わってしまった。

時代と共に、変わっていく周囲の環境。

良いことも沢山あるけれど、寂しい思いも強くなる・・・・

ばば、自分が年をとったせいかなぁ???

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ばば
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