もしも、あの当時・・・
7月8日(木)晴れ
日差しが強い徳之島です、現在の室温33,2度で湿度は50%。
扇風機を回しながらのブログアップです。
夕べ、久しぶりに娘たちから電話があった。
ビデオ通話・・顔を見ながら話せる、便利だね。
じじももしばらく参加したが、後は女同士、長々とおしゃべり。
便利な世の中になったものだ。
ばばが社会人になってすぐの頃なんか、電話のある家は少なかった。
集落内で電話のあるお宅と言えば、お店とか、
役場とかに、お勤めをしている方のお宅とか、数軒しかなかった。
ばばの職場でも、ダイヤル式の黒電話だった。
じじとばばが知り合った頃、ばばの家には電話がなかった。
海を隔てて住んでいた、じじとばば。
時々、じじが電話をする時は、ばばの家から小走りで数分のお宅へかけた。
すると、そのお宅の方が、ばばの家の裏の畑まで来てくれ
大きな声で「ばばさ〜〜ん、電話よ〜〜」と声をかけてくれ
その後、ばばは、そのお宅まで小走りで行き、じじからの電話に出ていた。
後々、考えたら、そのお宅にはご迷惑をおかけしたなぁ・・・・と。
集落内に、次々と電話が入り出したのは、ばばが、じじと結婚してからも
数年後だったと思う。
当時は、電話と言えば固定電話。
それからしばらくたって、大きなお店の入り口辺りには公衆電話もできた。
じじと結婚して、加計呂麻へ職場が変わった。
しばらく経って、長女が誕生したが、いろいろな事情があり
長女は、徳之島のじじ両親に預け、ばばは仕事を続ける事になった。
当時、じじとばばが住んでいた町営住宅にも電話は無かった。
集落内にあった2軒のお店には電話があり、集落内のほとんどの方は
電話をする時は、そのお店で借りてかけていた。
じじとばばも、長女の様子を訪ねたり、じじ両親と話す時は
そのお店に行き、電話を借りていた。
逆に、休みの日など、徳之島から電話が来た時は
お店の方が「じじさん、ばばさん、徳之島から電話です」とマイクで呼ぶ。
その放送は聞こえるので電話が来たという事がすぐ集落中に知れ渡ってしまう。
・・・そんな時代だった。
加計呂麻から徳之島に戻ってからは、
島では、職場はもちろん、個人の家にもほとんど電話があった。
でもね、まだ携帯電話はあまり普及して無くて、ましてや「石器人」を自負するばばが
自分で買うことも無かった。
別に携帯電話がなくて、不便を感じる事もあまりなかったが、
ある日、仕事を終え、車で帰宅中、どうしても家に電話をしなければならない事があった。
公衆電話のあるお店までは、結構遠い、でも、すぐ、じじに連絡したい!
ばば、どうしたと思う?
また、職場まで引き返し、電話を借りて、じじに連絡をしたのだった。
ばばが携帯電話を持つようになったのは????退職直前か?
退職してからだった?ような気がする。
たまたま帰省していた娘と携帯ショップへ行き、買ったと記憶している。
娘が勧めなかったら、ばばが自分で携帯を買っただろうか?と思ったりもするが、
やはり、買うには買っただろうなぁ・・・・
携帯を使うのは、家族や兄弟姉妹への電話やショートメールをする時くらい。
その後、娘たちからiPadをプレゼントされ、今では、ラインで連絡を取り合ったり
ビデオ通話で顔を見ながら話したりしている。
今は、中学生や高校生も普通にスマホとか使っているんだろうなぁ・・・
時代は変わったなぁ・・・と、最近つくづく思う。
島のネット環境も整いつつある。
都会に暮らす家族と、顔を見ながら話せる時代が来るなんて・・・・
ましてや「石器人ばば」がラインとかいうもの等やるようになるなんて・・・
日進月歩の昨今、ついて行くのが必死なばばです。