ありがとう・・・つないでくれた
3月21日(日)曇り、今にも降りそう〜
お昼、食事をしていると、次々と都会の友人達からメールや電話が!
「奄美でのNHKのど自慢放送されてるよ〜」と。
慌ててラジオのスイッチを入れ、聞きながらの食事となった。
徳之島からも何名か出場していて「頑張れ!」と応援しながら。
「奄美」とか「徳之島」とか聞いたり見たりすると、何故か気になるばば。
特に都会に出ている方々は、島に対する思いが、
島在住の人達より強いんでしょうね。
マスコミで奄美や徳之島関係の事が報道されると
すぐ、連絡をくれ、じじやばばよりも「島関係」の情報が早く、ビックリする事が多い。
話題変わります。
昨夕から、今日の午前中はお通夜と告別式に行って来ました。
ばば実家ご近所のお姉さんがお亡くなりになったと連絡があった。
今は亡き、ばば兄と同級生で、兄、姉、実家の両親も
大分お世話になったお姉さん。
つい数ヶ月前、実家へ除草剤を撒きに言った時
偶然散歩しておられたお姉さんと会って、
本当に何年振りかで言葉を交わしたばかりだった。
あれが最後になるなんて・・・・
家が近いという事もあり、このお姉さんには、
じじとばばの結婚前も大分お世話になった。
当時、固定電話のあるお宅は少なくて、ばばの家も電話が無かった。
お亡くなりになったお姉さんのお宅には電話があったので
じじは、加計呂麻から、ばばに電話を掛ける時、まず、お姉さん宅にかけた。
すると、お姉さんか、そのご主人が、実家裏の畑まで来てくれ
「ばば〜〜電話よ〜〜」と呼んでくれ、ばばは外へ出て
お姉さん宅迄必死に走って行って、じじと電話で話してた。
今は昔・・・ですね。
思い出すと、申し訳なさと、ちょっと気恥ずかしさも。。。。
斎場でお姉さんの遺影を見ながら、
40数年前の事を色々思い出したりしていました。
又、お一人、実家集落の先輩がお亡くなりになって
本当に寂しいです。