33年前・・・・

9月19日(土)曇り

タマスダレ

今から33年前の9月19日、奇しくも今年と同じ土曜日で、1校時、道徳の授業で子ども達と一緒にテレビを観ていた。

観ていた番組のテーマが「自分の命も、他の人の命も大切にしよう」という内容だった。

と、廊下を走る音がして、教頭先生が教室入り口でばばを手招きした。

普段と様子が違うので、急いで廊下へ出ると

「お兄さんがお亡くなりになったそうです」と・・・・・・

え〜〜〜っ!パニックで何が何だか分からなくなり

子ども達の事は教頭先生にお願いし、自分の荷物をまとめ

校長室へ行き「留守中、子ども達の事、宜しくお願いします」

と挨拶し、すぐ帰宅し、鹿児島へ行く準備をした。

じじと姉、ばば、そして父の4人で空港へ・・・・・

その間も「まさか、まさか、まさか」と現実を受け入れられなかった。

空港から兄宅へ・・・・

そして、無言で横たわる兄の姿を目のあたりにし、一気に悲しみがあふれ出た。

お通夜から告別式・・・無我夢中で今でも、はっきり記憶に残っていない。

農家の長男だった兄。

両親も兄自身も、教員を目指していた。

そして、念願の教員になって、初任地が喜界高校。

偶然にも、兄の赴任とばばの高校進学が重なり、ばばは志望校を変更して

喜界高校へ入学した。

兄との3年間、炊事、洗濯と家事をこなしながらの3年間だったが

良い思い出しか残っていない。

国語教師だった兄から、ばばも1年間は古典を教わった。

自分の兄から教わるという事で、同級生達には気を遣いつつ、

それでも、古典で良い成績をとると、同級生達から色々思われないかとか

あまり悪い成績では兄に申し訳ないとか、気を遣いながら授業を受けた。

中学校卒業と同時に徳之島を離れ、兄の世話?をしながらの3年間だったが

あの3年間が、後のばばの生活にはとても役立ったと思っている。

特に、買い物、料理とか・・・

兄から生活費をどの位もらっていたか分からないけれど

新卒の兄の給料は、そう多くは無かったはず。

その中から、ばばの授業料を払ってくれ、ふたりの生活費も・・・・

ばばが3年間作った、兄の弁当・・・・どんな物を作ったか記憶には無い。

中学3年まで、親元でも農作業の手伝いはしても

料理を作ったり炊事をした事は殆ど無かったから

急に兄と自分の分の弁当を毎日作る事になるなんて、夢にも思わなかった。

ある時、ある先生から「兄さんに美味しい料理作ってあげなさいよ」と言われた。

ばばは丸々太っていて、兄は痩せ形体型だったので

ばばに言った先生は冗談で言ったと思うけれど、ばばは内心ずっと気にはなっていた。

無我夢中で過ごした喜界島での3年間。

兄は、3年間、一度もばばを叱った事も、不平不満を口にした事も無かった。

兄との喜界島での生活は、ばばの人生の中で、かけがえのない宝物だ。

自分の身内の事を褒めるのも・・・と思うけれど、

兄は「超」がつくほどの真面目で頑張り屋だった。

ばばも、後に自分が教員になって分かったけれど、兄は毎晩遅くまで机に向かっていた。

きっと教材研究だったんだろうね。

当時、6畳と4畳半の町営住宅に住んでいたが、

兄は夕食後、部屋の仕切りの襖を閉めて、ずっと勉強していた。

ばばは、いつも兄より先に寝ていたが、いつ目を覚まして隣の部屋を見ても

電気がついていて「兄さんは、何時間位寝ているんだろう?」と、当時思っていた。

ばばが高校を卒業し、その数年後に兄は結婚した。

ばばもじじと同じ教職の道へ進み、そしてじじと巡り会って結婚した。

じじの話によれば、兄は、じじのことを「○○君、○○君」と呼んで、とても可愛がってくれ

じじが出張などで鹿児島へ行くと、会議などが終わった後

迎えに来てくれ、兄の家へ連れて行ってくれて、色々語りながら

飲んだりした事も何回もあったたそうだ。

何校か高校で勤務し、その後、県立図書館あのある部署へ異動になり

「これからは地方の方々とも触れ合える」と喜んでいたそうだ。

きっと自分の両親と重ねていたんだろうなと思う。

兄の娘が成人式を目前に控えたある日、早めに届いた晴れ着を

娘に着せて「綺麗だよ、綺麗だね」って、ニコニコ笑顔でとても喜んでいたそうだ。

それから、ほんの数ヶ月後のある朝

洗面所で身だしなみを整え、出勤準備をしていたら

急に体調が悪くなり、救急車で病院へ向かう途中、兄は帰らぬ人となった。

愛娘の成人式の晴れ姿を見る事も無く。

当時の家族、身内は、とても信じる事が出来なかった。

未だに信じたくない。

義姉母子もの悲しみ、心細さはいかばかりだっただろうと思う。

兄亡き後、義姉は必死に頑張り娘を育て上げた。

その娘も結婚し、今は母となった。

兄に見て欲しかった、娘とそのご主人や子ども(兄にとっては孫)達を。

誰にも優しかった兄だから、今はきっと天国で家族や、ばばや姉家族を

優しく見守ってくれていると信じている。

今日は、大好きだった兄の33回忌。

本当なら、鹿児島へ行き、義姉や姪、その子ども達と色々語り合う予定だった。

しかしそれを阻んだのは、コロナ禍。。。。残念でたまらない。

兄亡き後も、義姉は、いつでもばば達を気遣い、色々心配りもしてくれ、支えてくれている。

本当の姉妹のように、ざっくばらんに話す事も出来る。

そんな義姉に、いつも感謝している。

心ならずも、今日、兄の最後の法要に参加出来なかった事は残念だけど

兄は、きっと「あなた達の気持ちは良く分かるよ.ありがとうね」と

天国から言ってくれていると思う。

ばばも今朝は、家の仏壇に手を合わせ、兄への感謝の気持ちを伝えました。

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