黄色いセーター

5月11日(月)曇り時々晴れ間

つんベルギア

※記事とは関係ありませんが,我が家の庭に咲き出したツンベルギヤです。

昨日奄美は梅雨入りしたが、今日、沖縄も梅雨入りしたらしい。

午前中はドンヨリ曇っていたけど,お昼過ぎたらお日様も顔を出し

洗濯物も外干しできそう〜

昨日は「母の日」で、ばばもサプライズで鉢植えのバラをいただいたり

メッセージをもらったりしたが、今日も又々可愛い子ちゃんから

「いつもありがとうございます・・・・・」のメッセージが届いて

心癒やされているばばです。

昨日夕方、あるお花屋さんの前を通ったら、

顔見知りの子が2人忙しそうに働いていた。

そのうちのひとり、Aちゃんが言うには「母の日のプレゼント用鉢植えの花が

300鉢くらいあったのに、全部売り切れよ。忙しかった〜

もう、フラフラ倒れそう〜〜」って嬉しい悲鳴を上げていた。

「父の日」や「母の日」も、すっかり定着しているようですね。

我が家のじじったら,何故か「母の日はあるのに・・・・」みたいな事言うので

「何言ってるの?毎年、子ども達からもメッセージやプレゼントが届いているじゃない」

って答えたばば。

自分の両親への感謝の気持ちを忘れてはいけないと思っていても

ついつい・・・・って事はあるから、年に1回はあらためて両親への

感謝の気持ちを持とうという事で、「父の日」「母の日」が設定されたのかな?

子どもの頃、ばばは、厳しい母に反抗ばかりしていた。

反対に父はとても温厚だったので、叱られた記憶も無く、

ばばも反抗した事は一度も無かった。

でも、自分が結婚し,親になった時に「お母さん、ありがとう」という気持が実感できた。

気づくのが遅かったけれど・・・・・

怠け者で、お転婆だったばばだから、母は厳しくしつけてくれたと思うけれど

当時は、「何でお母さんは,こんなに厳しいの。

もう、イヤだ,大っ嫌い」と思って,何かにつけ反抗していた。

でも・・・・自分が親になったら、母の当時の気持ちを考えたり

「叱られて当たり前だったよなぁ」と思う事が出来るようになった。

小学校2年生の学芸会(当時はこう言っていた)の事を未だに忘れられない。

当時はね、体育館とかも無くて、夜、各集落の青年会場(今の生活館?かな)で

唄や踊りを発表し、保護者や集落の方が観に来てくれていた。

今なら、保護者は全校児童の演技や発表を,体育館などの舞台で観る事が出来るけど

保護者もほぼ全員が農業に従事していて、昼間は多忙であった。

それで、発表会も夜に集落の会場であったのだろうと、

これも大分後になって気づいた。

集落毎に発表会もあるので、我が子や同じ集落の子ども達の発表しか

保護者は観る事が出来なかった。

小学校2年生の発表会の夜。

女の子は全員でダンスをした。

題名は忘れたが「坂道上がろう,皆で上がろう・・・」という歌詞の一部は

未だに歌えるし、踊りは最後まで動きを憶えている。

そのダンスは,全員黄色い上着(セーター)を着て踊る事になっていたが

ばばは黄色いセーターが無かったので、違う色のセーターだった。

もうすぐ、ばば達のダンスが始まる・・・と言う時

誰かが「ばば、ちょっと外へ出て。お母さんが待っているよ」と言うので

出て行くと、母が何か風呂敷に包んだ物を出して

「これ着なさい」と、黄色いセーターを出したのだ。

その時のばばの驚き!そして、喜び!

当時は車も自転車もなく、定期バスさえ1日数回あるかないか・・・という時代だった。

母は、どのようにして,あのセーターを手に入れたのだろう?

勿論実家集落には,衣料品店など無かった。

隣集落にも、衣料品店はあったか?無かったか?

もし、会ったとしても隣集落までだって、歩けば,片道数時間はかかったであろう。

ばばが現在住んでいる地区には、衣料品店もあったけど

まさか、実家集落から徒歩では泊まりがけしなければ往復出来なかったであろう。

とにかく,ばばは新品の黄色いセーターを着て精一杯踊った。

学芸会が終わった後、帰宅して,母にお礼を言った記憶も無い。

又,あのセーターを何処で手に入れたかも聞いたか?聞かなかったか?記憶に無い。

ばばが「皆、黄色い上着を着て踊るんだよ」とかいう事を

何かの折、母に話したのだろうね。

それで、母は何とか黄色いセーターを入手しようと色々手を尽くしてくれたのだと思う。

本番直前に、黄色いセーターを届けてくれた母。

今考えると,本当にありがたくて涙が出そうになる。

そんなに,ばばの事を思ってくれている母に反抗ばかりしていたばば。

悔やんでも悔やみきれないし、申し訳ないと思い

尚更、感謝の気持ちが強くなる。

我が子達は,幼稚園の頃からも,毎年「母の日」には「感謝のメッセージ」などをくれている。

しかし、ばばは・・・・・・

直接、母に「ありがとう」という言葉を何回伝えた事だろう?

今なら,何回「ありがとう」と言っても、言い足りない位、母への感謝の気持ちは強い。

なぜ、もっともっと早く,気づけなかったのだろう。

いくら後悔しても,タイムスリップして、ははに「ごめんなさい」と謝る事も

「ありがとう」と感謝の気持ちを伝える事も出来ない。

昨日以来、子ども達や周囲の子たちからもプレゼントや

メッセージをもらい、今更ながらだけど「母の無償の愛」について

考えた「母の日」でした。