寂しいなぁ

3月15日(日)曇り

桃の花

※画像は綺麗に咲いていた桃の花です。

花を見ると、心が安らぎますね。

昨日は、8時起床で、今朝は7時起床。

何でこんな遅くまで寝てしまうんだろう?と自分でも思う。

今朝、起きる時「あぁ〜あ、あ、今日も朝寝した〜」と言いながら起きると

じじが「ばばには仕事させんといかんなぁ」って。

仕事していたら、5時には起きていたんだよなぁ〜と

あらためて思う。

ある時期からは、6時前に家を出る事もあったし、

職場では、ほぼいつも一番早く出勤していた。

管理職が、鍵を開けるまでは、花壇の草抜きをしたり

水まきをしたり・・・それが楽しかった。

当時は、社会人として仕事をしているんだから、

眠くても起きなければいけなかった

でも、今は・・・・

いくらでもやらなければならない事はあるけれど、

いついつまで、やらなければならないという期限とかも決まってないから

日に日にだらけていく気がする。

人間やはり、責任感とか目標とかが無ければダメだね。

夜は6時半から夕食、洗い方付け手、明日の準備しても

8時前くらいには一応の事は終わる。

その後、テレビも観ないし、本も読まないし、ラジオも食後はスイッチを切るし

やる事と言ったら、ネット徘徊くらい。

それも飽きたら、2階へ行き、ラジオを聞きながらタブレットをチラッと見たり、

レシピ本を眺めたりして、眠くなったらラジオを聞きながら寝る。

仕事をしていた頃は、こんな、のんびりとした時間はほぼ無かった。

夕食後でも、色々と明日の準備があったしね。

去年だったかな?娘が「お母さん、仕事をしていた時は

日曜日とかは、よく寝ていたよね」と言った。

職場まで結構遠かったし、朝、家を出てから帰宅するまで

ずっと緊張のしっぱなしと言っても過言では無かったからね。

週末は、土曜日の午後は家族で実家へ行っていたし

日曜日は終日ダラダラ寝ていたんだろうね、「1週間分、寝溜めとか言って。

思う存分寝たり、時間に縛られなくなったのは良いけれど

反面、緊張感が無くなり、ついつい自分を甘やかしてしまう事が多くなって

これでは、一気に年とってしまうなぁ・・・と反省もする。

もう少し、自分の生活習慣を見直す必要があるのかなぁ・・・と反省。

そうそう、昨日、あるサイトで瀬戸内町の秋徳小・中学校が

来年は休校になるという記事を見た。

秋徳小・中学校と言えば・・・ばばの生活ががらっと変わった場所。

前年秋、じじと結婚し、翌年春転勤したのが秋徳小・中学校。

加計呂麻は凄く不便な場所と周囲から聞かされた。

又小学校と中学校が併設という職場も初めての経験。

と言っても、それまで期限付き採用11ヶ月を含め2校しか勤務経験も無かったけど。

じじは、秋徳に近い職場で勤務していたけど

結婚と同時に、夫婦同じ敷地内にある職場へ。

職員会とか同じ部屋だし、研究授業とかお互い見るんだよなぁ・・・・

後の授業研究では意見も述べ合わなくちゃいけないし。。。。

と、複雑な気持ちで、新しいスタートを切った。

住宅は町営住宅で、お風呂は無く、トイレもくみ取り式。

職場まで歩いて数分。

集落内も歩いて10分くらいでは回れるくらい。

小さなお店は2軒あったけど、品数は限られていたので

買い物は、土曜日の昼とか日曜日に海を渡って行かなければならなかった。

固定電話も無かった時代で、徳之島へ電話をする時はお店まで行って

電話を貸してもらい、徳之島からかかってきた時は

お店のおばさんが、集落内放送に使うマイクで呼び出しをしてくれ

お店まで走って行って、両親と話したりしていた。

洗濯機はあったと思うけれど、娘が生まれた後

おむつを洗うのは、近くの川へ行き、洗っていた・・・

日本昔話「桃太郎」のおばあさんを思い出すなぁ。

川で洗濯をしている間に、いつの間にか結婚指輪を流してしまって・・・・

大事な指輪を外して行けば良かったのにね。

集落の方々は皆優しかった。

上司や同僚も良い方達ばかりで、子ども達は素直で、毎日が楽しかった。

平和な時間が流れていた。

赴任して3年目だったかなぁ?

何回かブログにも書いている破傷風になってしまったばば。

海を渡って、歯医者へ行き、治療を受けて帰って来た後

高熱が続き、そのうち首が回らなくなった。

40度ちょっと超える高熱が続いたので、仕事は休んだ。

心配した上司が「もしかしたら敗血症かも知れないから

病院でちゃんと見て貰った方が良いね」とじじに言ってくれ

たまたま「巡回診療船」がすぐ近くの海岸まで来たので見て貰い

それでも病名までは分からず、又、海を渡って病院へ行き

病名は分からぬまま、入院。

じじは、夕方の船で変えろとしていた時、院長先生が島外出張から帰ってこられ

「破傷風」と診断して下さり、それからは奄美市の

彼方此方の医療施設からから血清を集め、色々な車両を使い

リレー方式で運んで貰って、ばばの投与。

九死に一生を得たばば。

もっともっと、数え切れないほどたくさんの思い出のある加計呂麻島の

秋徳小・中学校時代。

当時の教え子ちゃんで、まだ年賀状のやりとりをしている子がいて

その子は遙か北国で頑張っている。

「一緒にもう一度、加計呂麻へ行きたいね」と、じじと話しながら

10年くらい経ってしまった。

学校の近くの川は今でも綺麗な水が流れているかなぁ?

校舎は変わっているかなぁ?

集落の方々はお元気かなぁ?

人口は何名くらいになっているんだろう?

当時の教え子ちゃん達で、島に残り頑張っている子はいるのかなぁ?

などと、色々な思いが頭をよぎる。

ばばにとっても思い出いっぱいの秋徳。

集落の中心的存在であっただろう、学校が休校になってしまうという。

寂しいなぁ。。。。。

全国的に少子化で、児童数が減っている中で

若い方達が島を出て、子どもの数がどんどん少なくなって行く離島の現状。

都会からの留学生を迎えている僻地の学校も多いと聞く。

現在、コロナウイルスの影響で休校が続き、

ばばの周囲でも、子どもの声は殆ど聞こえない。

元気な子ども達の声が聞こえないと、これ又、寂しいね。

秋徳小・中学校が再び再開される日を祈る、ばばです。

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