何故か未だに気になる

9月12日(木)曇り時々晴れ

今日は、お日様がカンカン照りつけるかと思うと、チラッチラッと雨がぱらついてすぐに止み

又、お日様カンカン・・・の繰り返し。

朝、可燃ゴミを出した後は、仕事らしい仕事もせず、ぼんやり過ごしている。

朝からやる気スイッチが入る日は良いけれど、今日のような日は、夕方になってから猛反省。

昼からでも、少し頑張らなきゃ!

昨日にブログで、町の特定健診の結果説明会に行って来たと書いたが

その中で「町の税金から、町民の医療費にどの位支払われていると思いますか?」と

問いかけられ「???????」と思っていたが、

正解は「11億3000万円」と・・・・・

聞き間違いじゃ無いよなぁ・・・・・信じられない数字にただ驚いた。

正解を、すぐにメモしたのだが、ばばの聞き違い??

今日になっても気になっている。。。。。。

去る1日、実家のお墓参り帰り、ある地点で、車を停め写真を撮った。

その場所からは、海や山がきれいに見えるので、お気に入りのポイントなのだが。

この場所に立つと、何故か10数年前の早朝の出来事が未だに思い出され

「あれは、何だったんだろう?」と未だに思う。

ある早朝、ばばはいつものように午前6時前に家を出て職場へ向かっていた。

車の窓からは、お月様もウッスラ見えていた。

時間が早いので、まだお日様は昇っていなかった。

上空左手にお月様、右手に海を見ながらハンドルを握っていた。

かの撮影ポイント少し手前から、右前方に山も見えるようになった。

ばばの実家集落近くの風景も少しだけ見える。

その時、ふと実家集落彼方の山の中腹辺りに、赤い火の塊のような物が見えた。

天城岳

※赤い塊が見えてのは、画像中央の山の中腹辺りです。

「何だ?」と思い、ほんの暫く路肩に車を停め、その赤い物体を見ていたが

ふっと見えなくなった。

不思議な事もあればあるものだと思いながら、職場に向かった。

職場でも数名の同僚に、その話しはしたが、「何だったんでしょうね」ということで

いつの間にか、そのことは忘れつつあった。

が・・・・・それから、しばらく経って、近くで悲劇が。。。。。

ばばが赤い塊を見た山の中腹に、ヘリコプターが墜落するという事故が起こった。

ヘリコプターは、救急患者を搬送する目的で沖縄から飛来したのだが、悲劇は起こり

操縦していた機長さん他3名、遭わせて4名の自衛隊員の方々がお亡くなりになった。

あの事故から、もう10年以上経ったが、車を運転しながら、あの山を見ると

何故かあの悲劇を思い出してしまう。

患者さんを緊急搬送する為のヘリコプターは、今でも1ヶ月に数回、我が家からも近い場所に着陸する。

徳之島にも、病院はいくつもあるけれど、患者さんの症状によっては、どうしても島内で対処できない事もあり

島外の病院に搬送しなければならない。

もう、6,7年前になるだろうか?

ばば達の親しい方のご主人が、ある日の夕方、急に体調を崩され、島内の病院に緊急搬送された。

病院で緊急処置が施され、少し落ち着いたが、夜になって症状が悪化

島外の病院へ搬送しなければならなくなった。

病院からの連絡で、すぐドクターヘリの手配がなされ、夜9時過ぎには救急車で空港へ。

救急車には主治医の先生も同乗して下さった。

見送るばば達は、ただ祈るしか出来なかったが、それから数時間後

患者さんは島外の病院へ無事搬送され、緊急手術、一命を取り留めた。

あの時の、島内の病院の判断に感謝している。

そして、搬送された島外の病院に、たまたま専門の先生がおられ、

すぐ緊急手術が行われたのも運が良かった。

ばばが加計呂麻時代、破傷風になった時も、抗生物質が病院に無くて

奄美市の病院から、タクシーや、色々な車がリレー方式で

抗生物質を瀬戸内町の病院まで運んで下さったそうだ。

患者さんの命を救うために、頑張って下さっている、病院の方々、陸上自衛隊員さん等々

沢山の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

人間は沢山の方々に支えられて生きている。

ある方の命を助けるために、別の方が命を落とされることもある。

大切な大切、ひとりひとりの、たったひとつの命。

大事に大事にしましょう。

過日撮った写真を見ながら、改めて思ったばばです。

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