頑なに

6月3日(日)晴
夕べ、急に「今まで何台の車を買い換えて乗っただろう?」と思った。

社会人になって2年目に車の免許を取った。
1年目は、職場まで徒歩5分の距離の借家住まいだったので、車は不要。
実家へ帰る時は、1時間に1本あったバスを利用していた。
所要時間は約1時間。

2年目の職場は、とても徒歩で通える距離では無く、
とりあえず職場の近くに下宿した。
実家へ帰るのはやはり公共のバスで、約15分位だった。

たまたま、職場の先輩が車の免許を取ったので
ばばも触発され免許を取った。
それを機に、実家へ戻り、実家から車通勤。
最初買った車は、周囲の「はじめの車は中古車が良いよ。
それで練習して、2台目に新車を買えば良い」というアドバイスもあり
ある人の紹介で中古車を買った。
それが若い女性には不似合いな荷物が沢山積める車。
車の知識など皆無だったばば。
周囲にも車に詳しい人も無く、紹介した人も親しい人でも無く
車屋さんも町外だったし、明治生まれのばば両親はばばが良いなら・・・と。

自分お車で通勤するようになり、バスの時間を気にする事が無くなったのは
嬉しかったが・・・・
車の外観は決して良くなく、一番困ったのは車体が大きかった事。
ばばの家は集落の外れにあるのだが、集落の中の道は狭くて
とても離合など出来ない。
おまけに、石垣とかも多くて、車一台がギリギリ通れる位しか無くて
特に実家の手前のカーブは、ハンドルを左に切り過ぎれば石垣に触れるし
右に切り過ぎれば、溝に脱輪・・・という・・・
初心者泣かせの道路だった。
しかし、この道路しか無くて、ドキドキしながら運転していた。

車を買ってからずっと気になっていた車のナンバーが
まさかの「4269」・・・「死に向く」・・・
この番号が気になって仕方が無いばば。

1年経つか経たない頃、両親にこのことを話したら
「そんなに気になるんだったら、買い換えたら?」と言ってくれた。

給料が数万円だった時代、車は高価な買い物だったけど
「気にしぃ屋」のばば、車のナンバーが気に入らないというだけで
あっさり車を買い換えてしまった。
それも軽の新車。

当時、給料から5000円だけ小遣いを取って、残りを両親に渡していたけど
両親が良く承諾してくれたなぁ・・・と今でも思う。

買い換えた新車はダイハツの軽だったが、この新車でもハプニングが!
職場近くのガソリンスタンドで給油をしてもらっていたら
ばばの前で給油を終わった車がバックしてきて、ばばの車の全部にぶつかったのだ。
顔見知りの大先輩だったが、本当に世間知らずというか、お馬鹿だったばば。
抗議する事もせず・・・結局買ったばかりの車を修理に出す事になって
経費全て自己負担という・・・
車の保険には入っていたと思うけど・・・
今でも、あの時の自分を許せない気がする。
当時「誰でも間違いはあるから・・・」って思い、両親にもそう話し、
両親も「そうだね、いつ自分が迷惑をかけるような事があるかもしれないから」と言った。

当時は今のような車社会でも無かったし、ばばの周囲には
車に詳しい人も、車について色々アドバイスとかしてくれる人もいなくて
ばば自身、車などの知識皆無。
今なら、自分から車屋さんに色々聞いたりして、教えてもらう事も出来るだろうけど
当時は、車屋さんが勧めてくれる車を買っていた。
車の機能とかより、車体の色とかナンバーが気になっていたばば、
今考えたら「全く、もぅ〜〜」としか思えない。

車のナンバーと言えば、今乗っている車の前の車のナンバーは
「1517」「以後、いいな」だった。
車を買えた後、知人が「ばばちゃん、車替えたの?
前のナンバーは(イチゴ いいな)だったでしょ」って言われた。

ばばも島ではすれ違う車のナンバーをチラッと見て
覚えたりするけれど、知人も何回かばばの車のナンバーを見るうちに覚えていたらしい。

じじは、車のナンバーなどには興味が無いらしくて、
自分が今年初めまで乗っていた車のナンバーも覚えてはいないはず。

ばばは、ちゃんと覚えているよ、
「何かくれ」「7290」だったって・・・アハハハ〜

夕べから色々車の事を考えていたが・・・
ばばは約半世紀で約6台の車を乗ったかも・・・
勿論、全てマニュアル車・・・
半世紀経っても、マニュアル車しか乗れないばば。
ばばが免許取った時はマニュアル車しか無くて
その後、オートマ車の時代になったけど、ばばは頑なに
「マニュアル車しか乗れない!」と言い張っている。
頭固いのかなぁ・・・ただの臆病者なのかなぁ・・・


 

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