第32回 島口島唄の祭典、他
2月19日(月)晴れ
今朝、「何で、そう見えるの?」とじじに言われた。
じじが食べていた豚骨が、何故か自分が食べているパンそっくりに見えたので
じじのパンが、おかずと一緒の皿に入っていると思って聞いてみたら
呆れられた。
自分でも、何故、そう見えたかなんて分からないよ〜
バレンタインデーも終わったけど、我が家のじじ
今年は何と!高級チョコレートを3箱も頂いた!
もちろん、ばばは上げていないよ。
だけど、食べるのは、ばばも平等に・・・
じじに「カラジ クル ニャウ=髪の黒い猫=ばば」が・・・って
言われながら・・・良いよね、
「ばばの物は、ばばの物。じじの物は、ばばの物」だもんね。
昨日は、生涯学習センターで「第32回 島口 島唄の祭典」があったので
聞きに行ってきた。
毎年楽しみにしているイベント。
開演が13時からだったので、早めに家を出て会場へ向かい
前から2番目の席に座った。
8割方席は埋まっていたが、前の方にたまたま空いていて良かった。
最近は島口(方言)を話せる人はある年代から上の人しかいないかも知れない。
発音も表記も難しい言葉の多い、徳之島の方言。
ずっと残していきたいけど、あと10年後、20年後はどうだろう・・・
と危惧しつつも、今は諦めムードのばばです。
昨日の祭典は小・中学生の島口川柳の表彰式から始まった。
小学校低学年・中学年・高学年・そして中学生の部と表彰があった。
作品をいくつか紹介するね。
「あじゃとぅ あま いちんま いいぐれ ぬんま ねん」
これは「お父さんとお母さんは、何時も口喧嘩しているけれど 何事も無く平穏」という意味。
「あじゃとぅ あま むんやあだてぃんば わかゆん」
「お父さんとお母さんは、何も言わなくても わかり合えている」という意味。
「ちゅうまいぐわぁ いきゃげぃたぼれ しまぬ くくる」
「どうぞ一杯 召し上がって行って下さい、島の心(おもてなし)」という意味。
「牛おうし 昔なくさみ 今 あきねぃ」
「闘牛は昔は娯楽だったけど、今は商売になっている」という意味。
「かみどぅ かみ うなぐや むぅる 口いんかし」
「女の人は よく喋り よく食べる」という意味。
身近な家族や島の文化闘牛のことなどが詠まれていて
1句、1句に「うん、うん、そう、そう」と同感しながら聞いてたよ。
表彰に続いて、9つの演目があった。
唄あり、踊りあり、三味線演奏あり、語りあり、劇あり
最後は町議さんや役場執行部の方の「島口議会」があり楽しかった。
町議の方でも、標準語を島口に変換出来ずに「????}という動作で
会場の笑いを誘ったり、又、議長さんが「○○町議は文に島口でカタカナをふってあります」
と言うと、議員さんが「いや、カタカナで無く平仮名です」などと言って笑わせたり。
この島口大会で毎年出るのが、かつては(昭和30年代から40年代くらい)
学校で方言を使ったら「方言をつかいました」という罰の札を下げられたこと。
今年も、話の中にこの事が取り上げられていて、札を下げられた子は
次に誰かが方言を話すのを見つけ、先生に「○○君が方言使いました!」と
申告?密告?して、やっと罰則札を外すことが出来たということも毎年語られる。
今年登壇した方は、なかなか友達が方言を使うのを見つけきれずに
2日ほど罰則札を下げ続けていたんだって。
方言を使用すると、罰則札を下げられたり、
授業をしていない教室に立たされたり、大変だったらしい。
だって、家での会話は、ほぼ100%方言なのに、
学校の門をくぐったら「はい、標準語をつかいなさい」という時代だったからね。
家族の呼び方だって、話せるようになった時点で
お父さんのことは「アジャ」、お母さんのことは「アマ」と呼んでいて
ある学年になった時のある日、急に「今日からお父さん、
お母さんと呼びましょう」と言われてもねぇ・・・
でも、よっぽど、ばばは従順だったのか、
先生にそう言われた日から、それまでの「アジャ」「アマ」を
「お父さん」「お母さん」に変えたから、今のばばからは考えられない。
呼ばれた両親も、ビックリしただろうね。
そうそう、例えば都会の事を島では「ヤマトゥ」と言っていて
標準語のことを「ヤマトゥグチ」とも言っていい、
方言のことは「島口」と言っていた。
都会って・・「ヤマトゥ」って、どこのことを言っていたのやら。
漠然と島以外だろうとは思っていたけど。
今、標準語で話せば、日本全国の人と会話できるけど
もし、それぞれの県や地方の言葉で話そうとしたら
それこそ、チンプンカンプンで「????」という事になるんだろうね。
ばばの知人に宮城県の方がいて、その方が宮城の方言で話すと
全く分からなくて・・・
又、ある方が徳之島の方言に興味を持たれていて
去年、ばばに「○○という言葉、方言では何と言うんですか?」と
わざわざ電話を下さったことがあった。
何と言う言葉だったか覚えてもいないけれど
ばばも、これからは新しく知った方言はその都度メモしておこうと思っている。
数年来、何名の先輩方に聞いても分からない言葉がある。
画家の田中一村が描いている「クワズイモ」の方言名。
5,6名の先輩方に来てみたけど、まだはっきりは分からない。
「あの先輩に聞いてみよう」と頼りにしていた先輩が
昨年病に倒れ、今は会話も出来なくなってしまった。
島の方言・・・廃れてきているには確か。
方言保存に残された時間は、少ない。
諦めつつも、何とか残す手立ては無いものか・・・と思うばばである。
※2月18日は大島地区の「方言の日」
スローガンは「話そう シマの言葉 語り継ごう 奄美の文化」