親の思い、子の思い

2月10日(土)晴れ
今朝は起きて温度計見たら、室温20度で、お昼過ぎたら24度越え。
わぁ〜〜何日ぶりだろう?
暖かいと気分まで軽くなるような気がする。
庭に出ると桜の花が昨日までより又増えている。
これまでで、一番多い花数かも・・・
7,8年前かなぁ?
友達のTちゃんからもらった10?ほどの苗木を植えたのが
数年前から1輪、2輪と花を付け続けている。
ここ2,3日暖かい日が続いたから、一気に蕾が開いたのかな?
このまま暖かくなってくれると良いけれど、
3月終わる頃まで、結構寒い日があるし、荒天気があるし、
まだまだ油断は出来ないね。

昨日、たまたま出かけたお店で買い物を済ませ
外に出た所で、知人のKさんと会った。
少し話す中で、Kさんが「自分は子どもに就いて欲しくない職業がふたつある」と言う。
「どんな職業ですか?」と聞いてみると「教員と警察官です」と答え
その後に「ストレスが半端ないと思うから」って。
Kさんの我が子を思う「親心」だよね。

今の時代、ストレスの無い仕事って無いのかも知れないと、ばばは思う。

ばばが子どもの頃、ばばの両親は「教員になって欲しい」と言っていた。
ばばの家は農家で、当時の農家はサトウキビ作りと米作が主流で
その他は豚や牛を飼って、その子どもが生まれたら売るのが
収入の全てだった。
だから、サトウキビや米の収穫時期以外は収入が無いので
その時期の収入を貯金して、切り崩して生活をまかなっていた。
野菜なども自給自足。
車社会でも無く、田畑へ出かける時は牛車。
そんな時代だったから公務員になれば、月々決まった月給がもらえる・・・
と言うのが、両親の思いだったのだろう。

しかし、じじ父は終戦後、暫く都会で仕事した後、島に戻り教員になった。
でも、当時、教員のの給料は少なくて、じじ父は出勤前の早朝畑へ出かけ
退庁後、又畑へ行って農作業をするという日々の中で
家族を養っていたそうだ。

ばばは、幼稚園に上がる前から、毎日、田畑へ出かける両親のと一緒に
田畑へ行き、その作業を見たり、自分が出来る仕事を手伝ったりしていた。
真夏の暑い太陽の下、真冬の寒い中、ずっと親と一緒に出かけていた。
年を重ねる毎に、出来る仕事が増え、その分きつくなった。
そして、何とかサボろうとあれこれ策を練った。
しかし、何故かいつの間にか又農作業を始めていた。
田植えも稲刈りも、麦踏みも、サトウキビ植えも収穫も
野菜の世話も全部体験した。

ある時期から徳之島でも養蚕が始まり、母は農業の傍ら養蚕も始めた。
ばばの仕事に、蚕の世話が加わった。
桑の葉を摘んできたり、蚕に餌を与えたり、掃除をしたり、繭を作る前の蚕を
棚に移したり・・
繭が出来上がると、母はその繭を鍋で煮て?
(大鍋で繭を煮ていたような記憶があるけれど、そんなことするのかなぁ?)
その後、糸車を使って糸を紡いで、その糸で織物をしていた。

農業と養蚕で、両親はばば兄姉を学校へ通わせてくれた。
そのうち、母は養蚕はやめ、農業の傍ら大島紬を織っていた。

ばばは、中学校まで島で生活したので、それまで両親や兄姉と一緒に
体験した農作業も、当時はきつくて逃げ出したいと思うこともあったけど
今思えば、貴重な体験だったと思う。
大自然の中で、家族が一緒に汗を流して働き、農作物を育て
それで生計を立てていた。

今は、ばばが子どもの頃と比べ、農作業も大きく様変わりした。
機械化が進み、ビニルハウスなどでの作物作りも盛んになり
作る物の種類も増え、生産から出荷までもスムーズになった。

今の時期、野菜が高い・・・とばばも嘆く。
でも、天候不順とか、農家の方の高齢化や人手不足等々
色々な原因があって野菜の値段も高くなっているから
あまり声高に「高い、高い」と言わずに、
ある野菜で工夫したりしなきゃいけないなぁ思ったりする。

昨日の、知人Kさんの話から、
ばばは何故か自分の子どもの頃のことを思い出していた。
「我が子に、どんな職業に就いて欲しいか?」
ばばの両親は安定した収入の仕事をと考えていたと思う。
両親がばばに「絶対して欲しくない仕事」もあっただろうが
そういう話は聞いた記憶は無い。

親が「して欲しくない」と思う仕事でも、
子どもが「この仕事で頑張りたい」と言えば、
ある程度アドバイスなどはしても、
最終的には子どもの判断に任せるのが良いのかなぁと
ばばは思うのだが・・・
色々難しい問題もあるんだろうな・・・

 

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