じじが「チョウチョ」だった頃、ばばは「花」だった?
1月10日(水)快晴・戸外は凍えるような寒さ
夕べの事だ。
帰宅した娘が、島にいた頃の話をはじめ、中学時代の文化祭のことを話し出した。
当時は各クラス、合唱があり、その中では自由曲と課題曲を発表するのだが
娘は3年間、伴奏をせざるを得なかったらしい。
更に、ある年は自由曲の作詞作曲までしなければならなくなり
親友と二人して悪戦苦闘したんだって。
いまでも、その親友と会うと「あの曲歌えるよね」ってハモって笑うんだって。
初めて聞く話だった。
娘の話を発端に、じじとばばの「学芸会」の話に・・・
じじやばばの時代は「学習発表会」ではなく「学芸会」と言っていたし、
じじ達は学校で「学芸会」をしたそうだ。
ばば達の校区は農家が多かったし、昼間「学芸会」をしても
保護者が農作業で忙しくて参観できなかったからだと思うけれど
集落毎に、夜、「青年会場」で、「学芸会」をしていた。
「青年会場」なんて言葉も珍しいけれど、当時は「集会場」とか
「生活館」とか「公民館」と言う言い方はせずに
ばばの実家集落では「青年会場」と言っていた。
夜の「集落毎学芸会」なんて、今では信じられないだろうね。
ばばの小学校区は4つの集落があったから、先生方は4回も夜出勤もあったんだね。
当時は、自家用車なんか無かったから、先生方は自転車で移動していたんだろうか?
もしかしたら?年配の先生方は徒歩で???
夕べ、初めて気づいて(先生方も大変だったなぁ)と思うことだった。
さて、学芸会と言えば・・・当時はの出し物は劇や遊戯等が多かった。
小学校の学芸会で、どんな事をしたか・・・・・
じじは「僕は浦島太郎の亀になった」と言うと、すかさず娘が
「可愛そうに・・・いじめられる場面もあったでしょ」と言う。
続けて「誰がお父さんの背中に乗ったの?」と聞いたら
「自分が亀だったのは覚えているが、浦島太郎が誰だったかは覚えていない」って。
そして「小学校1年か2年の時はチョウチョになった」と言うので
想像してしまい、大笑い。
そのチョウチョがどんな事をしたかは覚えていないそうだが
「じじがチョウチョと???」と想像するだけで何故か笑ってしまう。
じじは、当時の写真があるそうで、娘は「今度帰る時、その写真見せて!」
と、リクエストしていた。
じじが「亀」と「チョウチョ」なら、ばばは?と言えば・・・
1年生の時は「♪坂道上ろう、みんなで上ろう、
山の向こうの青い海で ピーピー ピーチクピーチク
ピ−ピーチクピー 鳴き鳴き みんなを待っている♪」
という曲を、黄色いセーターと黒いスカートで踊った。
未だにこの歌を歌えるし、当時の格好まで思い出せ、踊る事も出来るから
不思議・・・半世紀、いや、それ以上以前の事なのに。
2年生の時には、何と、今で言えばミュージカルのような・・・
歌いながら台詞を言ったり踊ったりする出し物の主役?のような役だった。
ばばは、舞台の上に寝た状態で幕が開き、ウサギ役の子が
「♪花子さん、花子さん、あなたはそこで何をなさっていらっしゃるの♪」
と歌いながら登場し、寝ていたばは起き上がりながら
「♪私を呼ぶのは誰ですの♪」と歌って
「あら、ウサ子ちゃんじゃないの、私に何かご用?」と言い
ウサギ役の子が「月のお宮の姫様が花子さんに会いたがっています」
というようなことを言い、ばばは月のお宮へ行き
そこで楽しい時を過ごして戻る・・・しかし、それは夢だった・・・
というストーリーだった。
不思議・・・・本当に学芸会と言えば、この二つを真っ先に思い出す。
自分以外、誰がどの役だったか?等は全く覚えていない。
それに、他の学芸会の事は全くと言っていいほど記憶に無い。
それにしても・・・偶然?こじつけだとは思うけど
ばばが「花子」・・・「花」だった時、じじは「チョウチョ」だった・・・って?
と言うと、またまた親子して大笑い。
むか〜〜し、むかしの事は、つい先日の事のように
最近の事は、すぐに忘れてしまって思い出せない。
これって、もしかして?????