あの光景は二度と戻らない・・・

1月2日(火)晴れ
今日も青空〜〜
室温は18度あるけれど、ちょっと肌寒い。
もう、お昼前だけど誰も動き出さないので
ばばひとり、パソコンの前で徘徊し放題。
こんなグウタラな生活していて良いのかなと思いつつ、易きに流されるばば。

昨日、帰省中の甥っ子Hちゃんから実家の写真が送られてきた。
シルバーさん達が庭木の剪定、除草剤撒きをして下さり
すっきりした庭と、室内各部屋の写真も。
実家の写真を見ていると、幼かった頃の正月の風景を思い出す。

大晦日の数日前から、門松作りの準備。
父は松の木の枝や竹、鏡餅を飾るシダの葉っぱ等を切ってきたり
浜へ行き、白砂を運んできたり・・・
そして親戚のお兄さん達にも協力してもらって豚を1頭潰す。
今思えばとても残虐な光景・・・
潰した豚は正月料理のメインになり、残りは塩漬けにして瓶で保存、
1年中活用していたなぁ・・・
家族総出での餅つき。
鏡餅や丸餅を作った残りは、伸し餅にして暫く置いていて
固くなったら父がカンナで薄く削り、室内で乾かして
必要な時に揚げておやつにしたり、お客様の接待にも使っていた。

お正月で一番楽しみだったのは・・・・
新しい下駄を買ってもらえる事と、大きな手まりを買ってもらえる事だった。
お正月にしか買ってもらえなかったからね。
女の子は、手まりをついて遊び、男の子は凧揚げをして遊ぶのが普通だった。
我が家の裏には、海を見下ろせる「オログィバンタ」という場所があり
集落の青年達が集まって凧揚げをするには格好の場所。
お正月の間、障子ぐらいの大きさの手作り凧や
大小様々な大きさや形の凧が我が家の上を遙かに超えて飛んでいた。

手作りの大きな凧には荒縄の太いシッポが付けられていて
凧が上空に舞うとウォ〜〜ン、ウォ〜〜〜ンと唸りを上げた。
凧は上空数十メートルの高さで、100メートル先位まで飛んでいたはず。
今は、お正月の凧揚げと言っても、
小さな子供達がお店で既製品の可愛い凧を買って
公園へ行き、親子で上げて楽しむ位かなぁ。

お正月の過ごし方は、昔も今も各家庭で色々な過ごし方があると思うけど
ばばが子供だった頃、家族そろって百人一首をするのも我が家の習わしだった。
いつも、読み手は母。
母が歌うように節を付けて読む百人一首。
「上の句を読んだら、瞬時に下の句を思い出しサッと札を取りなさい」
と、母から教えられた。
小学生だったばばは、必死に意味も分からないままに難しい句を覚えたが
この時百人一首を覚えた事が、後に古典の勉強をする時等に役立ったなぁと
母に感謝することだった。

ばばは、子供の頃のお正月の思い出が鮮やかに思い出されるけど
我が家の娘達、お正月の思い出があるだろうか?
娘達にお正月の思い出を作ってあげてきただろうか?

送られてきた実家の画像を見ながら反省しきりのばば・・・

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