この1週間

8月18日(金)晴れ
いやぁ〜ブログ一週間サボってしまった。
11日から今日まで、色々あったから・・・・

今、ばばが心配しているのは、水不足で節水制限、断水という事態になるのでは・・・と。
台風5号も、徳之島にはほとんど水を与えてくれませんでした。
今は、もう祈るような気持ちで雨を待っているばばです。

ブログを休んでいた間のことを、少し書いておこう。
11日に隣の島に住む、じじの妹夫婦と我が家の次女が帰ってきた。
妹夫婦は1年ぶり、娘は4年ぶりの帰省。
同じ日に港と空港へ迎えに行くので、じじは港へ妹夫婦を迎えに行って貰い
ばばは空港へ娘を迎えに・・・
しかし、飛行機が50分位遅れてしまって・・・
妹夫婦の乗った船も数十分遅れたらしい・・・・

妹夫婦は、着いた日の夕方お墓掃除をして良く12日の夕方の船で又帰って行った。
妹夫婦の住む隣島からは早朝6時頃船に乗れば、3時間半位で徳之島に着くから
その日も優に半日は行動できる。
翌日帰る時は、夕方4時半入港の定期船に乗るから朝から4時頃前は動けるし
夕方4時半入港の定期船に乗れば、夜の9時前後は帰宅できるから
便利だなぁと、いつも思う。
時間がたっぷりあるから、いっぱい積もる話も出来るし
妹夫婦が帰ってくると、本当に楽しい。
妹夫婦と、ばば夫婦は年も近いし、共通の話題も多い。
妹夫婦が帰省する時は、ばば姉も呼んで
みんなでお喋りしたり、食事をしたり
普段2人暮らしの我が家が一気に賑やかになる。
今回は娘も帰省したので6人でワイワイガヤガヤ楽しい時間が過ごせた。

妹夫婦が帰って行った翌日は迎え盆。
実家のお墓と、じじ家のお墓へ行ってご先祖様を迎えてくる。
14日は今年初盆のお宅数軒を回って、お供えをする。
そして15日は送り盆で、仏様に昼のお茶を備え、少し早めの夕食をお供えした後
それぞれお墓へ送っていく。

各家庭でのお盆にご先祖様に備えるお茶や食事も地域によって変わるらしい。
じじ家は、父が長男で無かったので仏壇はあっても
ご先祖を祀ってはなかった。
だから、母が元気な頃も特別なお供えとかは作っていなかったと思う。
父と母が亡くなり、ばばがお盆のお供えなど準備することになった。
しかし、ばばはこの地域の慣例を余り知らないから
姉に聞いて、実家集落のお盆のしきたりに従って、色々準備して備える。

ご先祖様を迎える13日は、お茶とお菓子を供え、翌日の午前中のお茶はお素麺
3日目のお昼のお茶はお団子・・・・それ以外は自分たちと同じ物をご先祖様にも供える。

ご先祖様をお墓に送っていく時が、女の人にとっては大変だった。
だった・・・と書いたのは、じじとばばは、今は略式で簡単にすませているから。

我が家の子ども達がまだ島にいて、親戚のおじさんやおばさん、じじ両親が元気だった頃は
送り盆と言えば、お墓に集まる一族全員分の飲み物や食べ物を準備して
お墓では、自分が作って行ったご馳走を、それぞれが全員に箸で挟んで配っていた。

途中から、ばばは面倒くさくなり、家で作った段階で
1人分ずつ小さめの折り箱に詰めて準備し、お墓では、それをひとりひとりに配っていた。
ばば達のお墓に集まる人は最高でも10人足らずだったが
親族の多い人達は、大変だろうなぁと、いつも思っていた。

今は、ご馳走を作ってお墓に持って行くことも無い。

お墓に行っても、お水やお酒を入れ替え、お線香を立ててお参りしたら帰って来る。

親族の多いお墓や、初盆の方のお墓では、宵闇迫る頃まで
一族揃ってお墓の前でご先祖様を偲びつつ語らいが続く。
薄暗くなったら提灯をつけて、その灯りの中で・・・・

だから、送り盆の日は道路の両側に車がぎっしり停車する。

ばばが実家のお墓へご先祖様を送って戻る頃が、一番車が多くなるので
行く時とは罰の道路を通り、少し遠回りして帰宅するようにしている。

今回、実家のお墓へ行った時に、知人と話す機会があった。
ばばが幼かった頃の実家集落では、迎え盆の日は夕方薄暗くなってからお墓へ行き
提灯に灯りをともして、ご先祖様を迎えてきていたそうだ。
そして、ご先祖様を送る時も、やはり薄暗くなってから提灯に灯りをともして送って行っていたって。

子どもの頃、お盆になると、母が沢山のご馳走を作っていたのは覚えているけれど
迎え方や送り方については、ほとんど記憶が無いばば。

今回、実家集落の先輩から色々お話を聞くことが出来て良かった!
昔ながらのしきたりを守らなければならないこともあるだろうけど
自分の生活スタイルに合わせて、あまり無理をしないように
引き継げることは引き継いでいこうと思った、今年のばばでした。

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