もしも・・・

4月16日(土)曇り
垂乳根の・・・と、きたら「きたら「母」
ひさかたの・・・と、きたら「光」
白妙の・・・と、きたら「衣」
青丹し・・・と、きたら「奈良」
足引きの・・・と、きたら「山」
午前中、片付け物をしながら、頭の中では何故か「枕詞」の事等考え
更には自分が小学校低学年だった頃にタイムスリップ。
これまで何回もブログにも書いているが、ばばの家は農家で
両親は朝から晩まで働きづめで、ばば達、兄弟姉妹も
学校から帰ったら、先ずは手伝い!
帰宅したら庭に「今日はどこそこの畑に来なさい。
おやつはお芋さんと黒砂糖」等と、棒きれで書かれているので
それを読んで、おやつを食べ母が書いてある畑や田んぼへ行って
薄暗くなるまで手伝いしていた。
親子で遊ぶ事など殆ど無かったけれど、農作業をしながら、
食事の後等、両親は色々な事を教えてくれた。

いくつか印象的な事があるけれど、
お正月になると、両親も仕事は休みで、家族で「百人一首」などしていた。
札を読むのは母で、節を付け朗々と読み上げるので


聞いているだけで、意味は分からなくても、ちょっと優雅な気持ちになった。
ばばは一番末っ子で、すぐ上の姉とも6歳違うので
百人一首をしても、なかなか札を取る事は出来なかった。
そんなばばに、両親は平安時代の短歌や、百人一首を教えてくれ
その時に「枕詞」も、いくつか教えてくれた。
ばばも、しぜんと枕詞などを憶えつつ、読み札を暗記し
小学校4年生くらいになると、兄や姉と良い勝負が出来るようになっていった。
勝ったから褒美があるとか、負けたから罰ゲームがあるとかでは無かったけれど
ばばは、家族百人一首大会が大好きだった。

ばばが年を重ねるにつれ、国語が好きになったのは
もしかしたら?
幼い頃の「家族百人一首」の影響があるのかな?とたまに思ったりする。

テレビも無く、ラジオも無く、学習月刊誌なども無く、
とにかく活字に飢えていて、登下校中の道ばたに
活字のある紙切れが落ちていたら、拾って貪るように読んでいた。

百人一首を教えてくれたように、算数の計算の仕方なども
両親が教えてくれたら、少しは興味を持ったかもしれないな・・・と今更ながら思う。

中学、高校と進むにつれ、国語は好きになる一方なのに
数学や理科は大嫌いになってしまったばば。
短大では、何故か日本の宇宙研究にも携わっておられたという
教授が人工衛星の打ち上げについて「何たら、かんたら・・・」と
黒板に数式を書きながら講義して下さったが、全くチンプンカンプン。
講義内容が全く分からない時は、「自分の尊敬する人物について書いて
提出すれば良いよ」と同じ教授の講義を受けていた先輩が教えてくれた。
試験がどんな内容だったか、何と書いて提出したか等、全く憶えていないが
成績は「不可」では無かったので、無事卒業は出来たけど
今でも、あの講義が、以後のばばの人生に役立ったか、どうかは疑問である。

ばばは、国語だけが好きで、体育もあまり得意ではなかったと思う。
ただ、努力で何とかクリアしてきたのかな?
小学校3年生の時、鉄棒の「逆上がりが出来たら5をあげます」と
担任の先生に言われ、毎日放課後練習し出来るようになったけど
本当に「体育5」もらったかどうか・・・・まさか、「5」くれなかっただろうな。
走るのも、そんなに得意ではなく、いつも後ろから追いかけてくる友達の
ヒタヒタヒタッという足音を、背後に聞きながら必にだ走ったけど
きっと、後ろから数えて方が早い順位だったかな?
「自分の家系は運動は不得手」と何十年も思っていたんだけど
つい先日、義姉が「ばばちゃんのお父さんは、走りが速かったのよ。
ある年の正月、我が家の家族と、姉家族とお父さんとで
走り競争したら、断然お父さんが速くて、未だに姉は時々、
その事を話すのよ」と言うのでビックリ!
全く初めて聞く話で、両親が走っている姿を見た事がないし
勿論、親子で、かけっこなどした事がない。
あぁ〜、じじが毎朝の早朝ランニングで三姉妹を鍛えたように
父がばばを鍛えてくれていたら、ばばも走る事に少し自信が持てたかもしれないなぁ・・
って、今更思っても仕方ないけどね。
この年になって、全力で走って競う事もないし、
まぁ、普段の買い物くらい、さっさと歩いて行けたら良しとしましょう。
百人一首は、もう一度、ゆっくり読んでみたいなぁと思うけどね。

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