報告他、今は昔

4月14日(木)曇り時々晴れ
枕の中身を配水管に詰まらせ、洗濯が出来なくなるという
普通では考えられない事をやってしまった、ばば。
朝食後、陽ざしがあったので思い切って、洗濯機を回してみた。
洗濯が終わるまで46分。
そわそわと落ち着きなく過ごしていたが
「ピーピーピー」という洗濯終了のブザー音に、思わず万歳!
ヤッタ〜、普通に洗濯できるようになった。
「普通に出来る」っていう事のありがたさ、改めて感じた朝だった。
そう言えば、昨夜、じじが着替えようとして自分のシャツの臭いを嗅いでいた。
そして「臭っ!」と叫んだ。
大袈裟すぎると思った。
じじは、ばばの所へシャツを持って来て「臭いする?」と聞いた。
前身頃、後ろ身頃・・・と嗅いでも殆ど臭いは無い。
じじの鼻が、どうにかなった?と思った。
しかし、次にシャツの襟元当たりの臭いを嗅いで「オェッ〜〜〜!」。
本当に吐きそうになった。
「臭いだろう?」とじじ。
吐きそうなのを我慢しながら、無言で「ウン、ウン」と首を振る。
恐るべし!排水管の詰まり。
直径数ミリのパイプが10数個詰まって、約一月経つと
こんな悪臭を放つまでになってしまうんだ〜。
これからは、家事も丁寧に、丁寧にしなさいと、ばばに教えるために
洗濯機は故障してしまったのかもしれない・・・・
改めて、排水管を掃除させてしまった電器屋さん、ごめんなさい。

洗濯も、今は洗濯機に投げ込んでスイッチを入れたら
全て機械がやってくれるけれど、ばばが子どもの頃
島では「洗濯は川で」が全てだった。
洗濯できる川は3カ所あって、洗濯物をカゴに入れて背負い川へ行く。
洗濯物ひとつひとつを平べったい石の上に広げ
固形石けんを塗りつけ丁寧にゴシゴシ洗う。
洗い終わったら川の中で綺麗に濯ぎ、力いっぱい絞ってカゴに入れる。
ほぼ半日かかってカゴいっぱいの洗濯を終えて背負い
緩やかなダラダラ坂を上って家に帰る。
しっかり絞ったつもりでも、所詮小学生のばばが絞ったくらいで
綺麗に水分が絞り切れているわけが無く、カゴを背負った背中はビショビショに濡れる。
おまけに、濡れた洗濯物は、乾いた物より遙かに重い。
重いカゴを背負って、上り坂はキツいけど頑張るしか無い。
ばばの家は、川とは全くの逆方向だったから、集落内で川から一番遠い。
ヘトヘトになりながらも頑張って家に着いたら、
洗濯物を1枚ずつ出して、広げ、2,3回振ってから竿に干していく。
竿も、父が山奥から切ってきた太くて長い竹竿だった。
でも、自分が洗濯した物が陽ざしを受けてはためいているのを見ると
何だか達成感を感じたのも事実。


今のばばより、子どもの頃のばばが、よっぽど頑張り屋さんだったと思うなぁ〜

そう、そう、洗濯する川が3つあると書いたけど
普通行くのは「サーワタンジャ川」「と「カンギョ」という川。
ばばの家から一番近いのは「ブーチ川」という川だったけど
この川は山の中を通って行く川で、昼でも道の両側から鬱蒼と木の枝が覆い被さり
子どもだけでは、とても怖くて行けない川だった。
おまけにこの川には河童がいるとも言われていたし
臆病なばばが(当時はね)とても行ける場所では無かった。
時々は、母の後から付いていった事もあるけれど
行く途中、畑の縁から転げ落ちてソテツの幹に引かっかったり
川について母が洗濯している傍の岩でウツラウツラ居眠りをして
川に転げ落ちて、ハッと目が覚めたり・・・何だか変な思い出ばかり。
ひとりで川に洗濯に行く時は、まじめに頑張るのに
母に付いて行く時は、居眠りをしたり、川エビや小魚を追いかけたり
全く手伝いはしなかった、我が儘ッ子だったなぁ・・・
今、思えば、洗濯機も無かった時代「大変さ」はあったけど
楽しい思い出?も、いっぱい!

ばばが洗濯に行く川は、先輩や同級生も同じ日に洗濯に来ていたので
洗濯の合間に土手の上から川に飛び込んだり
洗った物を平たい石の上に広げて干しながら、
自分たちはカワニナという貝を捕ったり、魚を追いかけ捕まえたり
たまにはずぼらして、洗濯物をジャブジャブ濯がずに
川に10数メートル流して追いかけ、濯いだ事にしたり
子どもなりに色々な遊びをしながら、手伝いもしていたなぁ。

洗濯に通った故郷の「サーワタンジャ川」も「「カンギョ」も
今は水量が極端に減り、洗濯など出来そうに無い。
ばば達が怖がっていた「ブーチ川」へ行く道は
雑草が生い茂り、今では川へ辿り着けるかどうかさえ定かで無い。
時間の流れと共に、故郷の自然も大きく変わってしまった。
ちょっと切なさをおぼえる、ばばだ。

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ばば
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