N君、さようなら

2月15日(月)曇り時々小雨
一昨日亡くなった、同級生N君とのお別れを
悲しんでいるかのような今日の空模様。

ばばは中学校を卒業して、島外の高校へ行ったので
中学校の同級生でも、なかなか会ったり集ったりする機会はなかった。
半数以上の同級生は、集団就職等で島外へ出て、そのまま都会で結婚し
生活の基盤を築いた同級生も多い。
又、ばばが卒業した中学校は二つの校区から生徒が通学していたので
小学校からずっと一緒だった同級生と、中学校へ行って出会った
隣の小学校区の同級生がいる。
亡くなったN君は、隣小学校区で卒業以来殆ど会った事はなかった。
ばばのすぐ近くに住んでいて、仕事も徳之島島内でしていた事も、
今回初めて分かった。
N君の事は中学生時代の思い出しかないが、ホッソリ体型で温厚だった。
遺影のN君は相変わらずホッソリしていて穏やかに微笑んでいた。
N君とは、中学卒業20年後の同窓会で会ったのが、最初で最後だった。
2度目に会う時が、お通夜、告別式なんて・・・悲しいね。
喪主席の奥様は、ずっと泣き通しで、
今にも倒れてしまうのではと心配になるほどだった。
今日の告別式で初めて分かった事は、N君が体調を崩したのは約1年前だった事。
退職して、やっと奥様と水入らずのセカンドライフが始まったばかりだったのに。
残念だよね、悔しいよね。
ばばが退職してから、既に5,6人の同級生が亡くなった。
まだまだ「死」を自分の事として受け入れる事は「なるべく避けよう、避けよう」
としているばばだが、自分の両親、姉兄、じじ両親を見送り
次は「自分の番」という避けがたい現実が目の前にある。
避けられない「家族や親しい人たちとの別れ」を考えると
胸が張り裂けそうで、眠れなくなる事もある。
だから、昨夜からのN君の奥様に自分の姿を重ねたりして
涙があふれて止まらなかった。
永遠に生きられる人は誰もいないし、
自分の生命の期限がいつなのか、分からない人の方が多い。
ばばの年になると、今まで生きてきた時間より
残された時間は遙かに少ない。
だからこそ、家族を大事に、周囲の人たちとも仲良く
健康で1日、1日過ごしたいと願う。

夕べ、お通夜から帰って、
じじに「亡くなった人は火葬されて、魂は天国へ行くけど
天国行ったら、亡くなった両親や兄弟姉妹に会えると良いのにね」と言うと
「無い、無い。死んだら何にも無い。」と一言でバッサリ。
じじの言う事も分かるけど「やはり来世があって欲しいな」と、ばばは思う。

あまりに突然に逝ってしまったN君のご冥福を祈りながら
今日は暗い文章になってしまって、ごめんなさい。

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