おめでとう〜

12月21日(月)曇り
今日は次女さんの誕生日だったので
じじがジョギングに出た後、朝一で「おめでとう〜メール」。

長女と1歳違いで、幼い頃はいろいろあったね。
長女は、誕生3ヶ月で徳之島の祖父母に預け
加計呂麻で仕事をしていたじじとばば。
次女が誕生した時は、幸い子守をして下さる方が見つかり
昼間は次女を集落の方に面倒を見て貰っていた。
毎朝mじじが自転車の前カゴに次女を乗せ
世話をして下さるお宅へ連れて行き
夕方、迎えにも行ってくれていた。
休みの日は、親子3人手をつないで散歩をしたりもした。
ある日、3人手をつないだまま、じじとばばが手を少し高く上げて
娘を持ち上げた瞬間、ガキッというような鈍い音がして
娘の肩が脱臼!大変!と思ったら
じじがサッと入れて(はめて)くれた事があった。
当時はおむつも紙おむつでなく、布おむつだったので
洗濯は家のすぐ近くの川でしていた。
洗濯後、ばばと娘で家に向かっていたら
急に娘がいなくなり、探したら、
ちゃっかりお隣さんの先輩宅に上がり込んでいたり
家のすぐ傍のお店にあったアイスクリームケースに
ぶら下がるような形でつかまって
「キャンコちょうだい、キャンコちょうだい」とおねだりしたり。
キャンコって、アイスキャンディーのこと。
休日前等は、後輩同僚がしょっちゅう遊びに来てくれ
娘に動物の鳴き声を教えてくれた。
「犬は?」と言えば、娘は「ワンワン」と答え
「牛は?」と言えば「モーモー」と答える。
10種類近くの動物の名前を言っては、
娘に答えさせていた同僚達。
今思えば、ゲーム感覚で娘は動物の名前や鳴き声を覚えたよね。
娘中心の楽しい生活も、長くは続かなかった。
世話をして下さっていた方が、都会へ引っ越していって・・・
次の方が見つかっても、又すぐ引っ越していったりして
1年くらいの間に、世話をして下さる方が次々と変わっていった。
その上、ばばが破傷風になって生死の境をさまよったり・・・
娘には申し訳なかったけど、徳之島のじじ両親が
次女も長女と一緒に育ててくれると言うので、甘えることに。
その時は、あと半年で、
じじとばばも徳之島へ戻れると分かっていたけど
苦渋の決断だった。
長女を3ヶ月で手放した時は、まだ授乳中で
娘のことを思うと胸が張って痛くなるので
さらしを胸にきつく巻いて、痛みに耐えていた。
次女は1歳半になっていて、少しは色々なことが分かっていたらしい。
じじが一人で次女を徳之島へ連れて行った。
土曜日の午後、じじと次女の乗った船が
加計呂麻の港を離れると、ばばは胸が張り裂けるようだった。

一方、徳之島ではじじ両親と義母の姉、
Mおばさんが次女を迎えてくれた。
2歳半になっていた長女や、祖父母、おばちゃんとの再会を
次女はどう思っただろう?
両親達が次女の相手をしている隙に
じじは逃げるように港へ向かい、加計呂麻へ戻った。
自分を溺愛してくれていた父親(じじ)が
どこかへ行って戻って来ない。
何時間経っても、何日経っても。
あの時の次女の気持ちを考えると、今でも涙が出る。
次女も徳之島で暮らし始めたが、
義母のお姉さん、Mおばちゃんが両親宅に来ると
次女は「バイバイ、バイバ」と手を振って
Mおばちゃんを玄関から入れなかったそうだ。
幼かった次女にしてみれば、Mおばちゃんが
父親(じじ)を加計呂麻へ逃がした?と思っていたらしい。
まぁ、次女の気をじじから逸らして、
その隙に、じじは港へ向かったのは事実だけど
その日の次女にとっては、Mおばちゃんは
「憎い敵」に他ならなかったんだよね。

半年後、加計呂麻での仕事を終えた、じじとばばも
無事徳之島に戻って親子4人の生活が始まった。
3ヶ月から3歳まで祖父母と暮らした長女は
祖父母を親だと思い込み、最初の頃は
じじとばばには抱かれることさえ拒否した。
半年だけ、じじとばばと離れていた次女は
すぐにじじとばばの胸に飛び込んできた。

ばばは、長女の態度を見て「生みの親より育ての親」
という言葉を実感した。
そして、これからは今まで寂しい思いをさせた分も
愛情をたっぷり注いであげなくちゃと思ったけど
家庭より仕事を優先したかなぁと反省もある。

1歳しか離れていない姉妹だったので
幼い頃から色々な意味でライバル心も強かった長女と次女。

高校卒業後は、同じ大学に進んだ娘達。
今でも年に数回「姉妹会」と称して
集まって楽しい時間を過ごしているようだ。
当たり前のことだけど、子供達が仲良いって
本当に嬉しい。

長女と次女には、ばばが仕事を続けたために
本当に可愛そうなことをしたなぁと思うこともあるけれど
「お父さん、お母さんの子で良かった。
お母さんが働いていてくれたから、今の私たちの生活がある
ありがとう」と言ってくれる娘達。
これは、じじが「あなたたちの今の生活があるのは
お母さんが、ずっと働き続けてくれたからだよ」と
言い聞かせてくれたからだと思う。

じじとばばに代わって、幼子二人を育ててくれた
じじ両親、Mおばちゃんには、いくら感謝しても、し足りない。
また、「お母さんが仕事を続けてくれたから
今のあなたたちの生活があるんだよ」と
娘達に言い聞かせ続けてくれた、じじにも感謝しなくていけない。
いつも、じじに直接向かって「ありがとう」って言うことは
滅多にないけれど、子供達の誕生日には
じじにも心から感謝しなくてはいけない日なんだよね。
だって、夜中や明け方にミルクやちっちゃなおむすびを作ってあげたり
お風呂入れ、おむつ替え、朝のランニング、自転車の乗り方教示等々
我が家は、じじが一手に育児を引き受けてくれていたなぁ。

ばばがじじと結婚する時、ばば両親が
「じじさんは床の間に飾っておきなさい」と言ったけど・・・
じじを大事にしない、今のばばの姿を見たら、
両親は怒るだろうな。

今は、ばばより遙かに大人になり、
物知りになった娘達。
「老いては子に従え」という諺もあるから
子供の言うことも良く聞くようにします。

次女さん、お誕生日おめでとう。


 

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