110円から思い出した・・・

11月18日(水)曇り
昨夜の雷と雷鳴は凄かった。
特に8時前後には、我が家のすぐ近くに
落雷したのではと思えるほどの雷鳴と轟音。
怖かった。
一夜明けて、今朝の室温30度越えで、湿度60数%。
11月も中旬過ぎたというのに。。。。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
午前中、ある資料を貰いたくて、あるお店に行った。
目的を果たしたので、向きを変えて外へ出ようとした時
左足踵で、何か踏んづけた感触が。
一瞬後、見知らぬおじいちゃんの右足先を踏んづけたことに気づき
「ごめんなさい。大丈夫ですか?痛くありませんか?」と聞くと
おじいちゃんは「大丈夫、大丈夫」と。
そのおじいちゃん、ばばに資料をくれていた店員さんに
「店先でお金を落としたけど、取ってもらえないかね」と言う。
店先に小さな側溝?があり、鉄格子?の蓋がされていて
その隙間に小銭を落としたらしい。
ばばも見てみると、なるほど溝の中に10円玉が1枚見えた。
「勿体なくてねぇ」とおじいちゃんは言う。
ばばも相づちを打つ。
店員さんは、何とか側溝の蓋を持ち上げようとするが
持ち上がらないので、別の男性店員さんを呼んできた。
その店員さんも何回か試みたが、蓋は持ち上がらず・・・・
暫くして、店員さんは奥の方に入っていったが
手に、鉄の棒を持って戻って来た。
その棒を格子の隙間に何回か出し入れしていたら
ある瞬間、蓋が持ち上がった。
おじいちゃんは、ゆっくりしゃがんで溝の中に落ちた小銭を拾い上げ
「ありがとう」と店員さんにお礼を言った。
ばばは、おじいちゃんに「良かったですね」と声をかけた。
溝に落としたお金は、10円だけではなくて、
100円玉も1個落ちていた。

溝に落としたお金を「勿体ないからね」と言った、おじいちゃん。
そうだよね、お金は1円でも勿体ないよね。

じじが、我が家の三姉妹が幼かった頃
「1円を笑う者は1円に泣く」と言いながら
財布から1円玉や5円玉の小銭を上げていたことを思い出す。
娘達が巣立った後は、ばばに小銭をくれるようになったので
ばばは「じじは大金持ち、ばばは小金持ち」と言って笑っていた。
そう言えば、ここ数年じじから小銭も貰ったことが無いなぁ・・・
と思っていたら、じじは島にいる限り、自分で買い物をすることがほぼ無いから
ばばにくれる小銭も無いんだよなぁ。。。。

今でこそ、1円や5円、10円を子供にあげたって喜ぶ子は少ないだろうが
ばばが小学生の頃は、たった10円手にするためにアルバイト?をしたことがある。
落花生の皮むきをし、数時間かけて実が一升枡のいっぱいになれば
やっと10円もらえた。
落花生の実は、一升枡のすり切り一杯ではなく、山盛り一杯にして
やっと10円の収穫。
10円得るために、右手の親指の腹側はマメが出来て
膨れあがってしまうことも良くあった。
又、熟した桑の実を沢山沢山採ってきて、潰して種だけにして
盃の1杯集まれば、養蚕場へ持って行き、10円貰うことが出来た。
ばばが小学校高学年か中学生になった頃、
近い集落にパイナップルの加工品を作るパイン工場が出来て
パイナップルの苗が山裾の広い広い畑に植えられていた。
そのパイン畑の雑草取りのバイトをしたこともある。
朝から夕方まで雑草取りを頑張って得た収入は500円くらいだったか?
千円だったか?????
お年玉だって、親戚のおじさんやおばさんから
10円とか50円貰えば、嬉しくて、嬉しくて・・・・
ばば兄が高校、大学へ進学した昭和30年代後半、
その学費を工面するために、両親や姉は朝から晩まで必死に働き
お米を作ったり、自家製糖工場で黒糖を作ったり
農耕牛に子牛を産ませたり、
子豚を買って大きく育てて売ったりして現金収入を得ていた。
そんな時代に育ったせいか、
お金の大切さは身にしみて分かっている。

今日店先の側溝にお金を落として困っていたおじいちゃんも
ばばより先輩のようだったから、
きっとばばと似たような時代を生きてきた先輩なんだろうね。

間違えて足を踏んづけてしまった事から
おじいちゃんのお金が無事取り出せるまで
ずっと気になっていたが、無事110円回収できて
良かった、良かった。

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