かつては海だった・・・
10月5日(月)晴れ
肺がん検診に行って来た。
「肺がん検診って?」と思いながらも8時から受付だったので
8時少し過ぎに家を出たら、受付番号63番だった。
「時間かかるかなぁ〜〜」と思っていたら
9時前には終わって帰ってきたので、
じじが「もう、終わったの?」とビックリしていた。
だって、受付して、レントゲン撮って、問診受けて、おしまい!
「肺がん、ばばと関係あるかなぁ・・」と思わなくも無かったが
念のため受診した。
受診料「500円」と書かれていたが、無料だった。
異状があった人だけに、焼く1ヶ月後、封書で連絡するとのこと。
封書が届きませんように・・・
あまりに呆気なく検診が終わったので、会場の入り口の石碑が気になり
車に戻る前に撮影。
逆光も逆光・・・という位置でしか撮影できなかったが
碑文を読んで、ビックリ。
碑文の概要は
「亀津南区から亀徳に至る海岸は、珊瑚礁が連なる海浜地帯で
通称、永浜、前浜と呼ばれ地域住民の憩いの場として利用されてきた。
ところが生活文化の近代化に伴って、従来の居住地が手狭になり
かつ毎年襲ってくる暴風雨時の大波による人家、宅地の災害を防止するため
昭和42年、この地域の埋め立て事業が計画実施され
以来14年の歳月を経て昭和56年4月18日に完工しました。
本事業の完成によって、永い間住民に親しまれてきた海岸地帯は
永遠にその歴史を閉じたが、新しい近代敵文化都市作りの基礎が
実現したわけであります。・・・・」後略
我が家から、すぐ目と鼻の先にある町の体育センター前庭に
こんな碑が立っていたことすら、普段は気づかなかった。
今まで何百回と体育センターには行っていたのになぁ。
ばばは現在住んでいる校区の出身では無い。
そう言えば、ばばが小学校低学年の頃、
町の「音楽発表会」等に出場するため、バスで亀津に来ていた時は
今の町体育センター辺りは海で、大きな岩があったのは覚えている。
その岩を「軍艦石」と呼んでいたのも覚えている。
今日、検診から帰宅して、じじに碑の話をすると
「軍艦石について書いてあった?」と聞くので
「海岸埋め立てのことが書いてあった」と答えたが
それから「軍艦石」の話になって・・・
「軍艦石、保存できていたら良かったのにね」とばばが言うと
軍艦石はとても巨大で、大きさは今の町の体育センター位もあったかも・・・て。
そして、名前の通り、軍艦の形をした巨大な岩だったそうだ。
だったら、保存は無理だったのも分かる。
もし、軍艦石を残して埋め立てたら、民家の間に大きな岩があって
今の体育センターなども、今の場所には建てられなかっただろうし
色々都合の悪いことも多かったことは容易に想像できる。
軍艦石の形や、その大きさは亀津、亀徳地域のある年代上の方しか知らないだろうし
他の集落の方は、ある年代以上でも知らない人が多いのではなかろうか?
軍艦石のことも、何か碑でも作って残しておいて欲しかったなぁ・・・・
そして、小学生や中学生にも、何かの折に
軍艦石の話をしてあげたり、色々調べ学習させたりすることで
亀津、亀徳地域の町の広がり方なども分かって、
おもしろいと思うんだけどなぁ・・・・・
現在、スーパーや、町の沢山の施設もあって、一番栄えている場所は、
昭和40年代までは海だったんだよなぁ・・・
と思うと、何だか不思議な気がする。
ばばも「無関係」と思いながらも「肺がん検診」に行って
自分の住む地域のことを、また少し勉強できて、良かった!