ばばも、優しい人になれるかな?

7月17日(金)晴れ
昨日、昼過ぎに、じじの親戚のM姉さんから電話があった。
じじとばばがちょっとしたものを送ったので、
そのお礼の電話だった。
ばばは、このお姉さんと5,6年前に1回顔を合わせ
その時、ほんの短時間、話をしただけなので
「じじの親戚のお姉さん」という位しか認識していなかった。

昨日は、たまたまじじが電話に出られなくて
ばばが出たのだが、お姉さんはばば達の送り物の
お礼や、近況を聞いた後、一旦電話を切ろうとしたけど
急に「あなたお名前は?」と聞いた。
ビックリしたけど「○○です」と言うと
「えっ?○△さん?」と言う。
「いえ、○○です」と再度言うと「あ〜、○○ちゃんね」と
認識してくれた。
その後、「ばばちゃん、優しい声しているね。どこの出身は?」と言う。
「どこそこです」と答えると、「あ〜〜、やっぱり。
だから優しいんだ」と言う。
その後、M姉さんが話したこと・・・・
もう、60数年も前の話。
当時は6年生の修学旅行は、歩いて全島一周をしていた。
1日では回れないので、途中1泊して、次の日、又歩いて・・・・
全島一周終了!だったそうだ。
そう言えば、ばば姉も同じような事を話していた。
お米などを持って、全島一周をしたと。
天城町回りで行ったのだろうか?
伊仙町で1泊して、旅館では持って行ったお米などで
食事を作ってもらったのかな?
次の日、又半周して帰校していたそうだ。

M姉さん達は、1泊目の宿泊地がばばの出身校区の旅館だった。
M姉さんは「一宿一飯のご縁」と言ったけれど、
お世話になった旅館の方が、後日、黒糖とかサトウキビとか
色々お姉さんに届けてくれたんだって。
どういう経緯があって、旅館の方が送り物をして下さったかは
M姉さんも、はっきり覚えていないらしい。
「お世話になったのは、自分たちだのに
旅館の方がわざわざ送り物までしてくれて・・・・
ばばちゃんの出身校区の方々って、本当に優しいのね。
ばばちゃんも、声聞いただけで優しい子だって分かるよ。
じじさんを宜しくね」って言われちゃった。
60年も前に、親切にしていただいたことを未だに覚えているなんて
当時、よっぽど嬉しかったんだろうね。
その後、お世話になった方とは、大人になってから1度だけ
神戸で会ったことがあり、現在、その方は東京在住らしいけど
会ったことは無いのよ・・・」と。
M姉さんが、旅館の方に対して、何か喜ばれることをしたから
旅館の方も、後日、送り物などしたと思うけれど
ばばは、自分の校区のことを褒めていただいて、とても嬉しかった。
旅館の方が、M姉さんを喜ばせるようなことをしてくれたお陰で
ばばの出身校区を「優しい人の多い地区」、
出身者を「優しい人」と認識してくれたM姉さん。
他人を喜ばせる「優しさ」って、本当に素晴らしいね。

そして、思った。
ほんの些細な事でも、他人を喜ばせることをしたことで
ずっと心に残ることがあるんだなぁ・・・と。
ばばも、親元を離れ、兄と過ごした喜界島での3年間の
最初の年、兄が借りていた家主のおじいちゃん、おばあちゃんに
とても可愛がってもらった。
あれから何十年も経った。
家主だった、おじいちゃん、おばあちゃんは
ばばが社会人になって、
しばらく経った頃相次いで亡くなられたんだよなぁ・・・・

ばばも、他人様に喜んで貰えるようなことをしているだろうか?
ちょっと自分の行動を反省してみたり・・・・・

これからは、ますます「心優しいばば」で日々過ごすように
心がけなくちゃね〜。
あっ、勿論、じじだけには「厳しい」「怖い」ばばであり続けるけどね。

昨日、アップした写真は、実家裏から海を写したもの。

ばばの実家裏からは、目の前に海が見えるし、
徳之島で一番高い井之川岳が見えるし、
海岸線にある隣集落も見えるし・・・・

中でも一番好きなのは、蒼い海。
子供の頃、母と一緒に良く通った。
大根をカゴに入れて背負い、海水で洗ってきて漬け物にしていた。
今は、時代も変わり、漬物用の大根を海で洗う人もいないだろうな・・・・・
海岸は季節によっては、アオサが摘めるし
食用の貝が穫れるし・・・・当時は、ごくごく普通の事だったけど
今では、本当に貴重な思い出。

故郷の海や山や自然に感謝!
有り難う〜〜〜

 

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