確かに結ばれている、繋がっている!

9月11日(木)曇
知り合いの方の告別式があったので
朝9時30分から、お昼前まで斎場に。
帰宅して、昼食の準備をしている時、郵便屋さんが
レターパックを届けてくれた。
差出人は北国、宮城県にお住まいのAさん。
Aさんのことについて今日は書いておこう。
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今日は11日で、東日本大震災から3年6ヶ月。
被災地の復興はまだまだ先が見終えない状態だと思うけど
少しずつ立ち上がりつつある人々の様子もたまにラジオで聞いてはいる。
今日、レターパックを下さったAさんも、地震と津波の被害を受けた方。
自宅が押し流されることはなかったので、再建し
今はお仕事も頑張っている。
これまでブログにも何回か書いているが、
Aさんとは一度もお目にかかったことはない。
知り合ったのは、かれこれ30年以上前。
当時、バイクに凝っていたじじが、「カワサキのナナハンのバイク」が欲しくて
探していたら、バイク誌の「売ります・買います」コーナーで
バイクを見つけ、売買契約をし、その後電話で連絡を取り合い譲ってもらった。
そのバイクの持ち主がAさんだった。
当時は宮城県から徳之島までバイクを輸送するには
大変な手間と送料がかかり、近県の方に譲った方が
よっぽど楽だっただろうに、Aさんは一番遠くに住むじじに譲って下さった。
それ以来、年賀状のやりとりや、ちょっとした郷土の特産品を
たまに送ったりして、お付き合いは続いている。

東日本大震災の起きる何年か前、
北大島豪雨があり、大変な被害があった時、
Aさんは、まず電話を下さり、その後新米を大量に送って下さった。
徳之島も被災したと思われたのだろうね。
その時、じじとばばは大感激した。
東北の方の「人の良さ」は常々聞いていたが
会ったこともない、南の島に住むじじとばばの安否を気遣い
いち早く連絡をして下さり、お米まで送って下さったAさんのご恩は
絶対忘れてはならないと、じじとばばは心に誓った。
それから、数年後、東日本大震災が起き
宮城県も大被害が出ていると報道されだした。
連絡を取りたくても、通信網も壊れAさんの安否も分からないまま
2日が過ぎた時、Aさんから夜電話が入った。
「ご心配されてると思い連絡しました。
被災はしましたが、今のところ家は残っています。
この電話は公衆電話で、みんなで並んで順番にかけています」と。
良かった!
Aさんはご無事だった!
自然に涙が出て、声が震えた。
ただ、嬉しかった。
それからすぐ、ばばは手紙を書いた。
そして、今度はじじとばばが、何かAさんにしてあげたいと思い
食糧品や、お米など送った。
Aさんからはすぐにお礼の電話が来て、手紙も届いた。
「自分たちを見守って下さっている方が全国にたくさんおられる。
そう思うと、力が湧いてきます。頑張ります!」と。
その時の電話で、初めてAさんの奥様とも話したが
奥様も涙ながらに感謝の言葉を下さった。
必死に頑張っておられるAさんご夫婦に
「頑張って下さい」という言葉はかけられなかった。
だって、今、最大限に頑張っておられるんだから、
これ以上「頑張って下さい」とは言えない。
ただ、「お体には充分お気を付けられてください」と話を結んだ。
あれから3年半・・・・・
元通りの生活には戻れないけれど、平穏な日々を過ごされているAさん。

そのAさんが、レターパックで宮城県の銘菓を送って下さり
お手紙も入れて下さっていた。
「今年もサンマの季節になりました。
今年のサンマは、去年のサンマよりも美味しいそうです。
楽しみにお待ち下さい。又連絡します」と手紙は結ばれていた。
Aさん独特の、個性的な文字。
見ていると、胸がジィ〜ンとなる。
去年も、旬の取れ取れのサンマを送って下さった。
ご自分達の生活が大変でしょうに、遠く離れたじじとばばのことを
ずっと気遣って下さり、心にかけて下さっているAさん。
「ありがたい」の他に、言葉も見つからない。
宮城県と鹿児島県の小さな離島、徳之島。
確かに繋がっている!
結ばれている!と実感する。
お互いがお互いを思いやる心さえあれば
どんなに遠く離れていても、絆って生まれるんだよね。
ご縁あって出会うたくさんの人々。
お互いが信じ合い、思い合えたら、嫌な争い事など起きないのにね。
Aさんとの出会いで、色々な事を学ばせてもらった。
もしかしたら、一生、対面できる日は無いかも知れないけれど
「Aさんって、こんな人かな?」「あんな人かな?」と想像しつつ
Aさんとのご縁を大切にしていきたいと思っている。

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ばば
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