さようなら〜F先生。

10月12日(土)晴れ
元上司の告別式に参列してきた。
先輩のT姉さんと一緒に。
T姉さんが「12時には行こうね」と昨夜、お通夜帰りに言ったので
「良いですよ。明日も私の車で一緒に行きましょうね」と約束した。

さて、今朝になって考えた。
「12時に行く」という事は、
12時には、もう斎場に着いているという事か
それとも、12時に家を出発という事か?
考えたがモヤモヤしたまま午前中過ごした。
告別式は1時からだから、12時にまで到着したら
斎場内に座って、丸1時間待つことになる。
どうしてそんなに早く行くのか?
その理由が「自分の好きな場所に座れる」からだって。
ばばは、勝手に「11時55分に家を出る」と決めた。

台風後の花壇のの整理もしたいし、
出来れば、病院へ行って診察も受けてきたかったが
午前中は家から出ず、家の中で出来る仕事をしておこう。
時間に合わせて何かをする・・・ということがあれば
なかなか落ち着かないものだね。
しょっちゅう時計を見ては作業をした。

いつも通り撮影に出かけたじじのために
余裕をもって昼食の準備をして、シャワーを浴びて・・・・・と
計画はしたが・・・・
最後に時計を見たら、もう、11じ15分になっていた。
慌ててお味噌汁を作って・・・・
おかずは冷蔵庫にあり合わせの肉や野菜を
じじ自分で出して食べてもらうようにして
殴り書きで、じじに手紙を書いて
シャワー浴びて着替えたら11時48分。わぁ〜ギリギリだぁ。
慌てて家を出た。
T姉さんの家に行くと、もう、門で待っていた。
「遅れてごめんなさい」と、先ず謝って、斎場へ向けてまっしぐら。
12時3分くらい過ぎには斎場へ入ったが、
遺族の方以外、2,3名の方がいるだけ。
早すぎたかな?

少し早いかと思ったが、
祭壇の前に行って焼香し、優しかった上司に最後のお別れをした。
上司は、ばばが仕事をしていた頃と同じ笑顔で微笑んでいた。
ばばの車で一緒に出勤し、退庁していた当時のことが
つい先日のように思い出された。
いまにも「ばばちゃん、元気で頑張っているかな?」
と話しかけてくれそうな気がした。
上司といっても、本当に部下思いで、
「ご苦労さん、ご苦労さん。」
「お疲れさん、お疲れさん」という言葉を何回もかけてくれた。
仕事を離れると、部下を自分の家族のように可愛がってくれ
ばばを呼ぶ時も、いつも名前に「ちゃん」を付けて呼んで下さった。
「優しい」という言葉が1番ピッタリする上司だった。
運動会などでは、奥様が独身の職員の分までお弁当を作って下さり
ばば達も呼ばれて一緒に美味しい料理をいただいていた。
行事の後には全職員を自宅へ招待して下さり、ご馳走して下さった。
何十回ご馳走になったか・・・・
楽しかった、懐かしい日々が次々と思い出された。
永遠の別れという事が信じられなかった。
奇しくも、亡くなられたのが10月10日。
この日は上司の90才の誕生日だったんだって。
誕生日と亡くなられた日が一緒って、偶然があるんだね。

12時半前後から次々と人が増え出した。

1時きっかりに告別式は始まった。
読経・遺族のお焼香・・・と進み、式は1時49分で終わった。

今日の告別式で印象深くて
初めて見た集落独特の葬送の儀があった・・・・
それは、ご遺族の方々が亡くなられた方の棺の前で
歌を歌ったことだった。
島の言葉で歌っているのだが、意味は分からなかった。
ただ「ウヤホウガナシ?(ご先祖様)・ウヤガナシ(親)」という言葉が何回も出て来た。
肉親の枕元で最後の感謝の気持ちを込めて歌っているように見えた。
昔は、このような風習が他の集落にもあったらしいが
今ではこの歌を歌える人もだんだん少なくなり
同じ集落内でも歌う家と、歌わない家があるそうだ。

この歌を歌ったり、聞いたりすると
自然に涙が溢れるんだと、ばばの隣にいたおじさんが話していた。
もの悲しい歌だけれど、遺族の方々が涙をこらえながら
まるで、亡くなった方へ話しかけるかのように
朗々と歌っておられるのが印象的だった。

ばばが大好きだった上司が、又1人旅立たれた。
寂しいなぁ・・・悲しいなぁ・・・

出棺の合図があり、参列者は深々と霊柩車に向かって一礼した。

さようなら〜F先生。

改めてご冥福をお祈りいたします。

 

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