3週間

2月25日(月)晴れ
3週間ブログを休んだ。
2月5日、父が亡くなった。
あまりに突然で、何が何だか分からないうちに
仮通夜・本通夜、告別式と慌ただしく過ぎた。

3週間が過ぎ、今でも「父がこの世にいない」ということが信じられない。
食事の度に、じじとふたり義父のことが話題になる。
じじは言う。
「僕は、親父の背中を見て育った。
理想の親父だった。」と。
ばばも言う。
「今、こうして平穏な暮らしがあるのはお父さんとお母さんのお陰だ」と。
父がばばとじじを出会わせてくれていなかったら・・・
父母が我が家の娘達を世話してくれなかったら・・・・

じじとの結婚直前、父が言った。
ばばちゃん、せっかく好きで選んだ教師の道。
結婚したからと辞めることはないよ。これからは女性も働く時代だから
ばばちゃんが、本当に仕事が辛い、もうこれ以上できないというんだったら
止めないけど、好きな仕事続けて良いんだよ。
母ちゃんとふたり、協力できる限り協力するから・・・」
この言葉通り、じじ両親は我が家の長女は生後3ヶ月から次女は1歳半から
海を隔てて勤務するじじとばばに代わって育ててくれた。
生後3ヶ月の乳飲み子を、よくぞ引き取って育ててくれたものだと
頭が下がる。
夕ご飯の準備をする母。
泣いてぐずる我が家の長女。
父は母の夕食の準備が終わるまで長女を抱っこしたり背負ったりして
近所を散歩し、あやしていたそうだ。
熱発した!
引きつけを起こした!
頭に大きなおできが出来た!
いくつものアクシデントが次々に起こった。
当時60代だった両親は、じじとばばに代わって
立派に乗り切ってくれた。
昭和50年代・・・・・
父は用事がある時は、長女をおぶい紐で背負い
バイクに乗って徳之島で一番大きな町の中を走り回っていたそうだ。
お祖父ちゃんが孫を背負ってバイクで走り回る・・・・・・
こんな光景を、ばばはこれまで一度も見たことがない。
父にとって「恥ずかしい」とかいう気持ちより
「孫が可愛い」という気持ちの法が強かったのだろう。
実際、父は「孫は我が家の孫しかいない」というくらい
9名の孫を可愛がってくれた。

曲がった事が大嫌いで、働き者で、努力家だった父。
結婚以来40年近く、父がばばを叱ったことは一度もない。
いつもニコニコ「行っていらっしゃい」「お帰りなさい」
「ご苦労さん」と声をかけてくれた。
そして、じじには「ばばちゃんも君と同じように働いているんだから
君も出来る仕事は手伝いなさい」と絶えず言っていた。
じじが、この父の言葉を守ったかどうかは、書かないでおこう。

ばばは、結婚以来、じじ両親には言葉で表せないくらい
お世話になりっぱなしだった。
実の娘同様、イヤ、それ以上に可愛がってもらった。
普段、言葉に出して感謝の言葉を言ったことはあまりない。
言葉で表現できない分、父の日・母の日・誕生日・敬老の日など
ささやかなイベントをし、我が家全員で
感謝の気持ちを表してはいたつもりだが、まだまだ足りなかった。

退職した時、ばばは初めて、じじ両親にこれまでの感謝の気持ちを込めて
長文の手紙を書いた。
そして、退職金からほんの心ばかりのプレゼントをした。
当時、父は既に体調を崩していたが、
母とふたり急な階段を上がり、わざわざ我が家まで来てくれた。
そして、ふたりともばばの前に正座して、言った。
「ばばちゃん、あなたの手紙を読んで、ふたりとも涙が出たよ。
この手紙だけで充分。あなたの気持ちは普段からよく分かっているよ。
これから、あなた方は子供達にまだまだお金もかかるから、
このお金は子供達に分けてあげなさい」と言って
ばばが渡したプレゼントの封筒をばばの前に置いた。
両親の話を聞いてばばは泣いた。
泣きながら畳に手をついて深々と頭を下げた。
両親も泣いていた。
そして「ばばちゃん、ありがとう」と言ってくれた。
なんてありがたい両親の言葉。
ばばは、改めて「この両親のために出来るだけの孝行をしよう」と
再度、強く心に決めた。

それからしばらくして、父はグループホームにお世話になり
その後、体調を崩し入院。
そのまま病院で寝たきりの生活となった。

毎日、母と、じじと、ばばの3名で朝・昼・夜の食事介助に通った。
だんだん意思疎通も出来なくなり、食事も口からは取れず
胃瘻手術をした。
それでも、病院へ行きベッドの横から声をかけると
まるで、ばばの声が聞こえているかのような反応をすることがたまにあった。

亡くなった日。
ばばはいつものように夕方6時過ぎ父を見舞った。
「少し息が早いかな。微熱があるなぁ」暗いに思い
帰宅後、じじにも報告した。
最近は同じような症状が度々あったから、
じじも「2,3日したら又元気になるよ」と言いながら夕食を済ませた。
その1時間後、病院から電話。
「お父さんの容態が急変しましたからすぐ来て下さい」と。
取るのもとりあえず、しかし、心の中では「来るべき時が来たのかな」という
大きな不安を抱えて病院へ走った。
じじとばばが見守る中、約1時間後に父の心臓が静かに止まった。

あれから3週間。
「父はこの世にいない」という現実がありながらも
「まだ、どこかに父がいる」そんな気がする毎日が続いている。

時間が経つにつれ、父への思慕の気持ちが強まるのはどうしてだろう?
1対1で父と話したことはあまりなかったけれど
大きな大きな愛情で私たち家族を包んで守ってくれた父。
その父へ贈る言葉は「ありがとう!」と、感謝のひと言。

お父さん、本当に筆舌に尽くせないほどお世話になりました。
ありがとうございました!
じじとばばも、お父さん、お母さんを見習って生きて行きます!

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ばば
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