1個の卵
5月28日(月)曇り
ばばの小・中時代は給食は無かった。
小学校時代は、午前中の授業が終わったら
それぞれ各家庭へ帰って昼食を食べて学校へ戻った。
夏の頃、ばばの家では縁側に座って
足をぶらんぶらん揺らしながら食べた記憶がある。
ベビーブーム年代のばばは、同じ集落の同級生も20名以上はいた。
授業が終わると、皆一斉に校門を出て我が家へ帰るのだが
ばばの実家は坂の上。
過日のブログにも書いた「クラチンシラ」という坂を上る。
登校時は下り坂なのでタッタッタッタッと駆け下りることが出来るが
午前授業が終わり、空腹状態で坂道を上がるのは結構きつかった。
今よりずぅっと坂は急だったような気がする。
昼食を終えて学校へ戻ると・・昼休みはあったのか、どうか?
ほどなく掃除が始まったような。。。。
昼に我が家を往復する。
良い気分転換になっていたのかな?
中学校は学校までの距離が遠かったので
毎日弁当だった。
当時、じじの家では1個の卵を半熟にしたら
父が器に入れてかき混ぜ、お箸につけた半熟卵を
子供達に舐めさせて、最後に父が食べていたんだって。
ばばの家でも家で飼っている鶏が産んだ卵を
1,2個割りほぐし、味噌汁に入れていた。
当時、家族は7人。
母が味噌汁をよそってくれる時、茶碗の中を凝視していた。
そして、少しでも卵が多く入っているのが
自分に回ってきますように・・・と思いながら母の手元を見ていた。
せつないねぇ・・・・
過日、後輩と話す機会があり、話が中学生時代の弁当に及ぶと
彼女の家では溶いた卵えお水時小麦粉で嵩増しして
卵焼きを作っていたらしいが、
ほぼ卵の倍量くらいの小麦粉が入った卵焼きだったって。
今なら、週末セールになれば卵は10個88円でも買える。
当時からすれば、本当に夢みたい。
卵など、超貴重な食材だばばの中学時代。
弁当のおかずに卵焼きが入っていることなんて、まず無かった。
ばばの弁当のおかずはピーナツを炒めて味噌を絡めた
「油豆味噌」が多かった。
本当に何もない時は味噌汁の具をすくって
水気を切ったのが入っていることがあった。
幸い・・というか、お米は自分たちで作っていたので
必ず白米のご飯だった。
ばばの中で何十年たっても忘れられない悲しい思い出があるの。
男子の同級生だったけど、ある日のお昼、弁当を食べ始めた時
弁当を謝って落として中身をひっくり返したことがあったの。
その中身・・・・ご飯が「堅めのおかゆさん」だった。
その時の男子同級生の悲しそうだった顔・・・・
不思議なことに、ばばの中で
「男子生徒がおかゆの入った弁当をひっくり返した」という記憶はあるものの
ひっくり返した男子が誰だった・・とか言う記憶は全くない。
お弁当におかゆを持ってくる子、味噌汁の具をすくっておかずに入れてくる子・・・
中にはふかしたサツマイモを2本くらい持ってくる子もいた。
ほとんどの子は、お弁当箱の蓋で中身を隠すようにして食事をしていた。
こんな時代だったけど、ある女の子のお弁当には
当時は珍しかったウインナーや、黄金色に輝く?卵焼きが
毎日のように入っていて、みんな羨望のまなざしで彼女の弁当箱を見ていた。
ばば達の間では、彼女のことを密かに「お嬢さん」と呼んでいた。
彼女のお弁当を見て「いいなぁ・・」と思う気持ちはあったけど、
それ以上の気持ちはなかったのが、不思議。
ある特定の子数名を覗いて、みんな同じような生活環境だったからかなぁ?
今現在、島内の小中学校は、給食がある。
「あれ、嫌い」「これ、食べられない」って残す子もけっこういる。
何て贅沢な・・・・時代になったのだろう?
遠足ともなると、みんな自分の弁当を見せびらかし合って?食べている。
キャラ弁とか、贅沢なデザート付き。
時代は変わったねぇ。