母は鬼婆ではなかった・・・・
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9月22日(水)晴
夕方洗濯物を取り入れていると、
「#$%&’*〜〜〜」と内容は分からないけれど、
叫ぶような声が聞こえた。
声がした方を見ると、若いお母さんが、プラスチックのバッドのような物を振り回し
小学低学年生くらいの男の子をぶっていた。
男の子は悲鳴を上げるような感じで車の後ろにしゃがみ込んでしまった。
近くにお兄ちゃんらしき男の子もいたが、
お母さんは今度はお兄ちゃんらしき子を「バチ〜〜ン」と叩き
男の子は大声で泣きながらしゃがみ込んだ。
兄弟できっと悪戯をしてお母さんに叱られているようだった。
お母さんがあれだけエキサイトしてるってことは
相当な悪さをしたんだろうなと思いながら母子を見ていたばばは
自分の小さい頃のことを思い出していた。
これまでも何回か書いたけれど、ばばの母は明治生まれで躾にとても厳しかった。
一番憶えているのは、お客さんが来て、その前で立て膝で座ろうものなら
お客さんの前であろうと、黙ってばばの太ももを強く抓った。
抓られた痕が青あざになっていつまでのばばの足に残った。
また、言うことを聞かない時は、家の真ん中の柱に太い綱でばばを括り付けたまま仕事に行った。
母が仕事から帰るまで数時間、ばばは括り付けられたままで・・・・・・・
友達のお母さんは、自分の母に比べて誰も優しそうに見えた。
ばばは、母にことごとく反抗し、抓られ、柱に括り付けられた。
母が厳しいので、心の中では「鬼婆!」と悪態をつきながらも怖くて口に出すことはなかった。
母は厳しかったけれど父には一度も叱られたことがない。
父はいつでも穏やかに笑っていた。
だから、父に反抗したことは一度もない。
厳しい母がイヤでイヤでたまらなかった。
厳しかった母の本意が分かったのは、自分も結婚し子どもができた頃からだ。
反省するにはあまりにも遅すぎたと、今は悔やんでも悔やみきれない。
母が厳しく教えてくれたことは全て正しいことだった。
母は、間違ったことは何一つ教えていなかった。
現在のばばの平穏な生活があるのも両親のおかげだと感謝してもしきれない。
厳しかった母と、穏やかだった父。
このふたりがいたからこそ、今のばばがいる。
いつか謝ろう・・・と思いながら、両親とも永久の別れをしたばば。
感謝の気持ちも、謝ることも両親が元気な頃にしておく大事なことだ・・・・と今になって思う。
今日、若いお母さんが何故子どもを叱っていたかは知らないけれど
あのふたりの男の子がお母さんが叱ったことをどう受け止めるか・・・・・
・・・と思いながら、ばばは泣いている子どもを置き去りにして
家に入っていく若いお母さんの姿を見つめていた。
洗濯物を取り入れ、たたみ終わって夕方の買い物に行った。
途中、東区公民館を見ると、舞台らしき物が作られ折りたたみの椅子が数十脚並べられていた。
長机には、焼酎の入っていた一升瓶の空き瓶が二本置かれ
それぞれにススキが飾られていた。
(あっ、今日は中秋の名月)と気付いたばば。
更に見ると、ススキの飾られた便の間には大きな丼のような物に
丸いお月見団子が山盛りにされていた。
更に団子の両側には徳利に何かの葉っぱか花が飾られていたが
遠すぎて、おまけに薄暗かったので何を飾ってあるのかハッキリは分からなかった。
今時、島でもこんな風流なことをするんだ〜〜と思いながら
病院へ寄り、買い物おを終えて帰る時、もう一度お月見会場の横を通ると
しっとりとした島唄が流れてきた。
聞いているだけで、ばばは意味もメロディーも分からないままハミングしていた。
ばばは、ススキも飾らず、団子もないけれど今夜は夕ご飯の後ベランダから月を眺めてみよう〜。
そう言えば、今朝ラジオで聞いたんだけど、大阪では三角錐のお団子を作り
そのお団子に群雲に見立てて海苔を巻くんだとか・・・・
ところ変われば・・・・・ですね。
昔から続く良い行事は、時代が代わっても
受け継がれていってほしいってたくさんの人が思っているよね。。。。。。。。