手紙
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10月11日(日)曇り・・・・町民体育祭
手紙・・・・・もう長らく本格的な手紙を書いてないなぁ・・・と思う。
ばばが一番手紙を書いていたのは高校時代から20代の頃・・・かな?
手紙は、口で言えないことを伝える事もできるけれど、
ずぅっと残る。
残して良い手紙、悪い手紙・・・ある。
自分がいなくなった後、誰かの元に自分が送った手紙が残る・・・・・
ばばは、高校時代に母からもらった手紙をまだ持っている。
兄が公務員で喜界島に勤めていたので、その炊事や世話をしながら
喜界島で高校を出たばば。
中学校を卒業してすぐのことで、炊事、家計のやりくり、勉強と夢中だった。
兄がばばに一月の生活費を渡す。
それでじゅうぶん家計はまかなえるのだが、両親に甘えたくて
「今月はお金が足りなくて○○が買えません」などと手紙を出す。
すると、両親は徳之島からお米や芋、時にはばばのお小遣いまで送ってくれた。
米や芋は何とカマスで送ってきた。
親心ですねぇ。。。。。、
車が自由に使える時代でなかった当時、ばばは隣家からリャーカーを借りて
隣の集落にある港の倉庫まで荷物を受け取りに行ったものだ。
親がどんな思いであの荷物を送ったのか・・・・今になって考えると
胸が痛くなる。
当時の母の手紙には「不自由な生活をさせてごめんね。
同封のお金では好きなものでも買ってね。体に気を付けて・・・」等と書かれている。
そんなに困っているわけでもなかったのに、ばばが出した手紙は
両親の心をどれほど痛ませたことだろう。。。。
実は、当時兄がばばの学費を全て出してくれていた。
誰もが高校・大学へ進学できる時代ではなかった当時、
ばばの家族にとって兄は希望の星。
兄は大学へ進んだが、ばばの姉二人は進学を断念し、働いて兄の学資援助をしていた。
大学を卒業して希望通り公務員になった兄は姉二人への恩返しのつもりで
ばばの高校生活全般の面倒を見てくれていたのだ。
そんな生活の中で、両親の胸痛ませるような手紙を書いてしまったばば。
何と罪深い行為だったのだろう。。。。
ずぅっと、ばばの心の中では忘れることのできない「一通の手紙」となってしまった。
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実は、流行にとんと疎いばばだが
去年話題になった樋口了一さんの「手紙」という曲を
一部分だけ聞いたことがあった。
とても良い歌だなと思ったが、全歌詞は知らなかった。
ひょんな事から昨日、全歌詞を見つけた。
ここに書くことで、ばばの中でずぅっと残していきたい。
「手紙〜親愛なる子供たちへ〜」
年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解してほしい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい
あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらないでうなずいて欲しい
あなたにせがまれて繰り返し呼んだ絵本のあたたかな結末は
いつも同じでも私の心を平和にしてくれた
悲しいことではないんだ 消え去ってゆくように見える私の心へと
励ましのまなざしを向けて欲しい
楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがる時には思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり
様々な理由をつけていやがるあなたとお風呂に入った
懐かしい日のことを 悲しい事ではないんだ
旅立ちの前の準備をしている私に 祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ歯も弱り 飲み込む事さえできなくなるかも知れない
足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったなら
あなたがか弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい
私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい
きっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです
あなたの人生の始まりに私がしっかり付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい
私の子供たちへ 愛する子供たちへ
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この詞に出てくる「私」に、
今グループホームでお世話になっている義父の姿が重なる。
義父、89歳、義母86歳。。。。。
あと、どれだけの時間共有することが出来るのだろう・・・・・・・