フレーフレー
10月3日(土)晴れ
運動会シーズン。
島内は9月第一日曜日に高校が、先週、中学校の体育祭が終わった。
10月4日は小学校の運動会。
現場を離れると、学校行事にも縁遠くなってしまった。
ばばたちが子供だった頃は集落対抗で盛り上がった運動会も
最近は児童数の激減で紅白対抗になってしまった。
保護者は紅白に分かれての応援ではなく、我が子の応援だ。
兄弟姉妹がいる子は、兄弟姉妹全員が同じ組とは限らない。
お兄ちゃんは紅組でも妹は白組とか、その逆パターンもあり、
たまには兄弟姉妹同じ組というケースもある。
ばばの母校では大人の種目はまだ集落対抗で大いに盛り上がるよ。
昔懐かしい、輪回し競争やムカデ競争もあるし、輪投げ・玉入れ競技などもある。
昔取った杵柄で輪回しなどスイスイとやってのける年配の方々を見ていると
「さすが!」と感嘆する。
ばばたちが子供の頃は遊びで輪回しをする男子もいたんだよなぁ。
老若男女、参加者全員で踊る郷土のの踊りもある。
「千人踊り」とか二つくらいあるが、歌詞などは全くわからない。
単調な踊りを延々と繰り返し、最後に近づくにつれだんだんテンポアップしていく。
ばばが小学生の頃は「千人踊り」などはなかったし
こういう踊りがあることすら知らなかった。
郷土のこういう芸能?は残していってほしいが後継者をいかに育てるかが問題だろうな。
方言を使えない子がほとんどだもの。。。。
運動会といえば、応援。
応援も、今は相手を揶揄するような応援はなく、
相手にもエールを送るような応援をする。
ばばたちが小学生の頃は集落対抗で全ての競技を競ったので
相手を茶化すような応援が多かったような気がする。
競技の間中、応援歌を歌い、笛を吹き、手拍子をし、太鼓をたたき
それはそれはにぎやかだったなぁ。
「♪ドンガラブチ ドンガラブチ ユウドンドン
相手の旗は負けの旗 里(実家集落名)の旗は勝ちの旗
フルエーフルエー(フレーフレーの意?)我が選手
フレー 里、フレー 里 フレッフレッフレ〜〜♪」♪」とか、
「♪もしも○○(相手チーム)が勝ったなら
絵に描いただるまさんが走り出す
電信柱に花が咲く 夏の6月雪が降る
フルエーフルエー 我が選手
フレー 里、フレー 里 フレッフレッフレ〜〜♪」
等とのどが痛くなるまで歌い、
歌の合間には「3 3 7拍子」や「2拍子」なるものがあり
応援団長の笛に合わせて「チャッチャッチャー チャッチャッチャー
「チャッチャッチャッチャッ チャッチャッチャー 」等と
手のひらが真っ赤になり、痛くなるまで手拍子をした。
簡単な組み体操のようなものもしていたような気がする。。。。
応援の練習も今時は昼休みや放課後など体育館などでやるが
ばばたちの頃は各集落内で場所を決めてやっていた。
ばばの実家集落は海の見える「オロギィバンタ」のキビ畑脇の道路が定番だった。
狭い農道であるが、みんなで整列し
「いかにしたら相手より、より派手なパフォーマンスができるか」相談したり
替え歌を作ったり、「応援の振り」を考えたり
それはそれは真剣に知恵を出し合ったものだ。
農道では応援練習のみならず、リレーのバトンタッチの練習などもした。
集落の子供たちみんなが一致団結し頑張った運動会。
しかし、今、あの弾けるような子供たちの声は聞こえない。
ばばたちが小学生の頃は校歌に「学びの友の500余が」という歌詞があったが
今年50数名の児童数が、来年は40名ほどになると、つい2,3日前、先輩から聞いた。
今日も、風向きによってはばば宅近くの小学校から
運動会練習を指導する男先生の声が聞こえる。
この徳之島の中心校もばばの娘たちが小学生の頃は
6、700名ほど児童がいたと思うが、今は約半数くらいになっているのではなかろうか?
運動会当日は早朝から応援の場所取りをしておかないと座れないほど盛り上がったものだったが
今はどうなんだろう???
秋空の下、老いも若きも心弾ませた運動会。。。。
時代の変遷とはいえ、様変わりしてしまった運動会。
仕方ないのかな。。。。。。。。。。
昔の運動会に郷愁をおぼえるのは、ばばが年取ったせい???
ちょっと文が長くなるけれど、ばばが10年前に働いた職場は
今、児童数が兄弟2名?3名?になったとか先日友人の電話で知った。
職員も3,4名かな????
だから、運動会は集落総出の一大イベントになる。
海を越えて隣の校区からも参加する。
人数は少なくても、ほぼ半日にぎやかな完成で盛り上がる。
所変われば運動会の内容も変わるけれど、
いつまでも子供たちの元気な声が響いてほしい。
今、日本の南には台風が二つもあるとか。。。。。
どうぞ、明日の運動会が晴天の下、無事行われますように・・・・・・・・・