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9月15日(火)曇り時々小雨

父がお世話になっているグループホームへ面会に行った。

ちょうど昼のお茶の時間で入所者は全員食堂に集まって

お茶屋おやつを頂いていた。

父は目をつむって口をもぐもぐもぐ動かしていたが

耳元で「お父さん!」「お父さん!」と何回か呼ぶと

「ハイ!」と返事をして目を開けた。

でも、ばばを認識しているようではなかった。

目の前に、先日ばばが届けた栄養剤を入れた吸い飲みがあったので

飲ませようと父の口元へ持って行った。

口をもぐもぐするだけでなかなか開けてくれなかったが何回目かに口を開け

栄養剤を飲んでくれた。

一口入れては何十回も口をもぐもぐもぐ。その間も目はつむったまま。

「お父さん!」と耳元で声をかけながら僅か100ccくらいの栄養剤を

30分くらいかけて飲ませた。

父と同じ棟の入所者は男性2名、女性6名らしい。

とっくにおやつを食べ終わっていた7名のおじいちゃん・おばあちゃんが

父と、ばばの一挙手一投足をじぃっと見ている。

父の隣に座っているおばあちゃんは

「お父さんって呼んでくれる子どもがいるって幸せだね」と何回も言う。

そして、ばばに「親孝行したら、その徳はきっと自分に返ってくるよ」とも。。。。

親孝行も何も、ばばが父にして貰った事に比べたら

今、父と面会に行く事ぐらい何でもない。

父はばばとじじを引き合わせてくれ、

仕事を続けるばばに協力できる事は骨惜しみせずやってくれた。

ばばの娘3人を親代わりになって育ててくれた。

父がいかに孫を可愛がったかは語り草にさえなっていた。

父の時代だから出来た事だろうが・・・・・

町なかを孫(うちの長女)を背中に負ぶってバイクに乗り

組合活動をしたそうだ。

又、夏休みには孫を職場へ連れて行き上司と遊ばせたりもしたそうだ。

父の上司も子ども好きだったのだろう、

文句も言わず娘たちにおやつなど下さったそうだ。

父は、自分の事はさておいて子どもや孫のことをしてくれた。

厳しく四角四面な父が、孫たちの前では好々爺になりきっていた。

80才頃までも毎朝4時か5時には起きて習字の練習をし、

それから弓を引きに行き、帰ってくると畑仕事で汗を流していた。

身軽で走るのも速く、お正月には家の前の大通りを孫と徒競走をしたりもした。

父は習字が得意だったが「習字は年取ってからでも上手になれる。

でも、ピアノなどは小さいうちから練習させた方が良い」と言っていた。

父は30才くらいで教師になったそうで、初めは小学校勤務だったので

オルガンを弾かなければならない音楽は相当苦労したそうだ。

習字は、毎晩蚊帳の中で練習したと聞いた事がある。

傍らで母が墨をすり、父は一心に練習したそうだ。

その頃の習慣からか退職後も早朝から習字を書いていた。

後日、父の勉強部屋に行くと

1枚の紙が真っ黒くなるまで練習した紙が何百枚も積まれていて

父の努力を目の当たりにしたばばだった。

そんな父が80才を過ぎる頃から物忘れがひどくなり

だんだん身の回りの事が出来なくなっていった。

「あのお父さんが・・・・」という思いは今でもある。

今、ばばが出来ることは少しでも多く父のところへ通い

優しく声をかけてあげること。

明日は9時過ぎには会いに行こうと思っている。

父と暮らして36年。

先日9月1日、父は89才になった。

ここ数年、年をとるとは、こういうことなんだと

父は身を以てばば達に見せてくれている。

 

壮絶な老いとの闘い。。。。

誰も避けて通る事の出来ない刻々と近づく「老い」。

怖いけれど・・・・反発しながらも受け入れざるを得ない「老い」。

昨今は何故かマイナス思考になっている自分に気づきハッとするばばだ。

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