タナ
5月19日(火)曇り時々小雨
過日写していた母校のガジュマルの木の写真を見ていると、急に木に登りたくなった。
別にじじのおだてられたわけでもない。
かつて・・・・・10年ほど前までか?????
ばばの実家には大きな大きなガジュマルの木があった。
枝を広げ、その幹は大人2d、3人で抱えるほどはあった。
そして、一本の枝は横へ横へと伸び、太さもどんどん太くなり
その途中途中から長くひげを伸ばし、年月を重ねるうちに
いつの間にかその様相は遠目に細長い竜の胴体にも見えた。
しかし、木が大きくなるにつれ、黄色く色づいた葉っぱが
毎日毎日、風向きによっては隣近所の門に吹き飛ばされ、
台風の後など後始末と掃除も大変だった。
クレームも耳にするようになり、思い切って伐採することになった。
この木は誰が植えたのだろう???
ばばのおじいちゃんだろうか?
ばばが生まれた時は、既におじいちゃん、おばあちゃんは亡く、
ばばは、おじいちゃん、おばあちゃんの顔を知らない。
おじいちゃん、そのまたおじいちゃんが植えたのか、
それより以前に植えられたのか今は知るよしもないが、
実家と言えば、まず「大きなガジュマルの木」が浮かぶくらい
ばばの中ではインパクトが大きかった。
ばばが幼稚園くらいになった頃から「ハブ除け」と言って
父がガジュマルの根っこに硫黄を撒いているのを良く目にした。
ハブは硫黄の匂いが嫌いなのだそうだ。
今でも、実家の隣近所ではハブ除けに硫黄を撒いていると言う人もいる。
家の周りにも硫黄を撒いていることがあったなぁ・・・・
でも、ガジュマルの根っこには、よくハブがいて父が捕獲していたのも覚えている。
「ハブがいるから怖い」という思いもあったが、
それよりも、「この木に登りたい」という欲求が強かった。
だから、ばばは、この大きなガジュマルの木に登っては遊んでいた。
今のように扇風機やクーラーがある時代ではなかった。
だから、夏など木の上は最高に涼しく、居心地の良い場所であった。
だから、ばばは友達や姉達と協力して廃材の板やムシロやゴザを
木の上に運び上げて「部屋?」を作って、そこで勉強したり寝ころんで
とりとめのないおしゃべりをしたり、時には昼寝をして至福の時を過ごしていた。
この樹上の部屋?を「タナ」と言っていたと思う。
いつ頃までこの「タナ」で遊んだだろう??
記憶が定かでないが、7年前ばばが最後の仕事で母校へ行った時、
校庭のガジュマルの大木を見て、実家のガジュマルを思い出していた。
母校のガジュマルも大正3年に植えられたと言うから
今はもう樹齢100才に近い。
この大木は、同じ場所でたくさんの子どもたちを見守り送り出してきた。
ばばは家では木登りをしたり、活発だったが
学校では木登りはしたことがない。
当時も男の子達は、競って木に登り遊んでいた。
そして、50年ぶりくらいに見た母校のガジュマルは
ばばが小学生の頃と大して大きさが変わったとは思えないのが不思議だった。
子ども達は、休み時間には競ってガジュマルの木に登った。
ところが・・・・・・・・・・
思わぬハプニングが・・・・・・
毛虫!がいっぱいいて、体のあちこち刺される子がいたり
元気な子達は木の上で鬼ごっこをして
逃げるのに夢中で枝を踏み外して落っこちて骨折する子がいたり・・・・・
でも、子どもたちはめげなかった。
怪我が治ると、すぐまた木に登っていた。
男の子だけでなく女の子も登って遊んでいた。
ばばも自分が小学生時代には登ったことがない大木に
子どもたちと一緒に登って遊んだ。
ガジュマルの木はその枝を周囲に伸ばし、広げ
離れてみると大きな傘か、キノコにも見える。
夏の暑い日にはこの下で涼むことが出来るし
少しくらいの雨なら雨宿りも出来る。
でも、大変なこともある。
それは掃除。
黄色くなった葉っぱや熟した実が大量に落ちる。
その時期は、朝・昼の掃除で一輪車(ネコ車)で
5〜6杯くらい葉っぱや実を掃き集めて捨てる。
たまには、毛虫のような害虫が大発生することもある。
今、このガジュマルは、「竜は九度地に潜り、
時至れば風を起こし風を巻いて、その後天高く登る」という
中国の故事にちなみ、子どもたちが将来大きく羽ばたくようにと言う願いを込め
「昇竜の木」と名付けられ母校のシンボルとなっている。
いつまでも、母校の子どもたちを見守っていて欲しいと願うばばだ。