デンワ

4月7日(火)晴れ

ばばが二十歳を過ぎるまで実家には電話がなかった。

だから、じじと知り合った頃は加計呂麻にいるじじから

手紙以外ばばへの連絡のしようがなかった。

でも、じじは文を書くのがあまり好きではなかったらしく

結婚までにもらった手紙はたった一通だけ。

その後35年間、一度も手紙なんかくれたことがない。

 

加計呂麻と徳之島、離れ離れのじじとばば。

じじは加計呂麻からよく電話をくれた。

まず、ばばのお隣のMさん宅へ電話をする。

Mさんがばばの家の裏の畑から「オ〜〜イ、ばば子〜〜加計呂麻から電話〜」

と大声で呼ぶ。

ばばは門を出て、走ってMさん宅へ走る。

そしてじじと電話で話す。

今にして思えば、他人様の家の電話を借りて1週間に何回か電話をするなんて

ちょっと可笑しいけど、当時は仕方なかった。

ばばの職場の電話さえ今のような公衆電話ではなく、

片手でハンドルのような物を回すかどうかして、今では想像できない操作のあと通話していた。

 

その後、各家庭が電話を設置し、お店などには公衆電話も設置されるようになった。

しかし、あれから30年経って、今は公衆電話も姿を消しつつある。

そして、携帯電話が主流の時代になった。

 

ばばが仕事をしていた3年前、職場で携帯電話を持っていないのは

ばばだけで「石器人」とからかわれていた。

しかし、大して必要性も感じなかったので、そのまま過ごし今日に至っている。

でも、数回は携帯があればと切実に思ったことがあった。

 

それは、6,7年前のこと、仕事を終え家に向かっていた時だったが

一刻も早くじじに連絡を取らなければならないことがあった。

何とか連絡を取ろうと車を走らせながら公衆電話を探した。

しかし、ちょっと前まではあったはずの場所に公衆電話がない!

次の場所にはきっとあると信じ、車を走らせたが

やはり撤去されていて電話はなかった。

どうしようかさんざん迷ったばばは、結局、約10?逆戻り、職場に引き返して

じじに電話をした。

あの時ほど(携帯電話があれば)と心から思ったことはなかった。

 

退職して3年目。

ばばは、まだ携帯を持っていない。

じじは6年前、必要に迫られて買ったが、ほとんど使うことはなく

充電を繰り返している。

 

ばばは、携帯のあの小さな画面でメールなどとてもできそうにない。

パソコンのメールとは、入力の仕方から違っているし・・・・・・・・

石頭ばばには、とても使いこなせそうにない。

 

しかし。。。。。。。。。。。。。。。

ついにここ数週間、ばばも(携帯持った方が良いかな?)と内心思いつつある。

そのきっかけは??????明日書くことにしよう。。。。。。。。

投稿者プロフィール

ばば
ばば
最新の投稿