戻りたいけど・・・
12月8日(木)曇り
今日も相変わらず曇天の徳之島です。
室温は20度前後あるけれど、湿度が40%台。
だから、夜寝るときは、ネックウォーマーをして寝ている。
我が家の庭の鉢植えの「ハナキリン」、日々、上部の花はピンク色が濃くなっている。
下へ行くほど、花の色が白っぽいって事に、今年初めて気づいた~
上の花が萎れる頃、下の花がピンク色になるのかな?
昼から姉が寄ってくれたので、一緒に買い物をして帰宅。
その後、お喋りをした。
その中で、実家集落の事が話題になった。
「自分たちが子どもの頃より、人口が激減したよね、子どもの数も少ないし・・」とか
「集落内で夫婦揃っている所って、10軒も無いんじゃ無い?」とか。
ばば達が子どもの頃は、若い人も子ども達も沢山いた。
学校行事でも、運動会は集落対抗だったし、学習発表会も各集落で行われていた。
学校も体育館とか無かったから、各集落の集会場が発表会場になっていたのかなぁ?
何回もブログにも書いているように、ばばが小学生の頃の校歌には
「学びの友の五百余が朝に夕べに学び磨く・・」という歌詞があった。
それから約半世紀以上経った現在は、小学校の全児童数は50名いるかなぁ?
ばば達の時代は、中学校を卒業すると、就職で殆ど都会の方へ出て行った。
だから、島には十分の一も残らなかったと思う。
都会に出て行った人たちも、定年退職とかしても島に帰る人は、殆ど居ない。
若者は、殆ど都会へ出て、島には高齢者が増えた。
昔は、「十五夜祭り」とか「餅もらい」とか、色々な行事もあったけれど
今は、どうだろう?
「餅もらい」はお正月明けの、ある日の晩、小中学生集まって
「♪お餅を下さい、お餅を下さい、お祝いのお餅を下さい・・・♪」という
内容の唄を方言で歌いながら、集落の各家庭を1軒、1軒回って庭先で踊って
お餅を貰い、カゴを背負った子がお餅をカゴに入れてもらっていた。
お餅の無い家庭ではお菓子とか、お金を入れてくれるところもあって
全家庭を回った後、子ども達は集会場に集まって、カゴの中身を全部出して
ほぼ均等に分けて、持ち帰っていた。
集落全体が親戚のような感じで、子ども達に声を掛けてくれ
見守って居てくれた時代だったなぁ。
時代と共に、生活様式も、行事なども色々変わるのは当然だけど、ちょっと寂しい。
「古き良き時代」という言葉があるけれど、まさに、ばばの子どもの頃は
良い時代だったなぁ・・・
じじが過日言っていた「人生、振り返ることは出来ても、戻ることは出来ない」
という言葉を実感します。