7月7日は特別な日

7月7日(火)晴れ
今日は七夕。

天の川を挟んで織り姫と彦星が年に一度、会える日
・・・なぁんて、子供の頃、話を聞いて
夜になると、一心に空を見上げていた。
あの純粋なばばは、一体どこへ行ったのやら・・・・

7月7日。
我がファミリーにとっては、とっても重要な日。
なぜなら、昔、昔のその又昔・・・・
もう、何十年前か忘れるほどの昔、
じじとばばが、生まれて初めて出会った日。
それもわずか5分足らず位の時間。
あの時、出会っていなければ
じじとばばは結婚もしていなかっただろうし
今のファミリーも無く、全く別々の人生を歩んでいたはず。
もう、何回もこのブログにも書いているので
詳しくは書かないが、ばばが社会人になって4年目の七夕の日。
職場で夜、飲み会が計画され、当日とても暑かったし
ばばの家は、車で20分もあれば往復できる位
職場と近かったので、一汗流してきて
夜の会に参加しようと帰宅した。
たまたまそう思って、帰宅し、お風呂に入り
再度職場へ出かけようとしていた所へ、じじご一行様、初登場!
じじと、じじ父と、じじ父の同僚であり、
じじの恩師でもあったE先生の御三名様〜。
玄関からばばが出ようとしたのと、じじ達が玄関に立ったのがほぼ同時。
軽く会釈をし、ばばは家を出ようと思ったのだが
じじ父と、E先生から話しかけられ、ほんの一言三言交わし
車に乗るべく外へ出た。
何か分からないけれど、
ばばの両親に用事があってのことだろうと思ったからね。
車に乗ろうとしているばばに、E先生が
「じじとお付き合いしてみない?」と切り出し、
えっ、えっ、えっ〜〜〜〜のばば。
いつ思い出しても可笑しくて、笑い出してしまうのだが
ばばが発した言葉、「お付き合いって、どうするんですか?」。
E先生の答え「時々あったり、話をしたりしたら・・・」。

当日、唯一、ばばがじじに言った言葉は
「Kちゃんの弟さんですか?」。
Kちゃんとはじじの妹で、ばばより1才年下だが
新採の面接に一緒に行ったりして、顔見知りだったから。
じじ父も、同じ職場では無かったけれど大先輩として
顔は知っていたが、個人的に話した事はほぼ無かった。
初対面のじじは、薄く色の付いたメガネをかけていて
(サングラスなんか掛けて・・・・・・・)と思ったのと
とても若く見えたという印象しか無い。

お付き合いするも、何も出かける直前だし返事もせず。
ばばは、そのまま又職場へ向かった。

当時のばばの理想は、「27才になったら、5才上の人と結婚しよう。
メガネをかけていない人が良いな」等と、漠然と思っていた。
ばばの兄や姉は、みんな配偶者と5才違いだったから
ばばは何となく、自分もそうしようと思っていただけなんだけどね。
メガネは、自分だってある年齢になれば老眼になり
必然的にかけるようになるのに、なぜ、あんな事を思っていたんだろう?
メガネをかけている方に.とても申し訳なく、自分の差別的な考えが
恥ずかしくなった。

当時、じじは海を隔てた所に勤務していたので
「会って話をする」と言っても・・・・・・
それに、当時、我が家は電話が無くて、
日曜日など、少し離れたお隣さんにじじが電話を掛けてきて、
そのお隣さんが裏の畑から走ってきて
「市外電話よ〜〜」と呼んでくれたら、
ばばは約70メートル?位走って階段を上がって
そのお隣さんへ行き、じじの電話を受けていた。

初めて会ったのが、7月7日。
それから、なんと45日後の8月21日には
なぜか入籍していて、それから約2ヶ月後は結婚していた。
なんで、あんなにササッと人生の一大事な事が過ぎてしまったのか
今でも理解できない?
じじは「僕が、良い男だったからだよ」と威張り
ばばは「じじ家の策略にはめられた」とむくれる。

20代後半、ばばの破傷風で「今晩が山場です」と言われたり
50代半ば、予想だにしていなかった、じじの大病とかあったけれど
ごく、ごく平凡な何十年間を、じじと共有出来たのは
「7月7日」の出会いがあったからだよね。

今でも、ばばは言う。
「もし、あの時、ばばが帰宅していなかったら、
じじと会っていなかったよね」と。
すると、じじ「いや、又後日、きっと出直していただろうね」と。
あっ、そうですか?

人間と人間の出会いなんて、本当に不思議なものだよね。
「7月7日」と言えば・・・
我が家の娘が入籍したのが、偶然「7月7日」だった・・・・・・かな?
だから、ばばは、「7月7日」を特別な日と考えている。

維持と初めて出会った、数十年前もとても暑い日だったけど
今日も、33度越えの暑い暑い徳之島。
今日も、何かサプライズがないかなぁ・・・・・・・

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