じじがピンクで、ばば黄色・他
4月8日(火)曇
昨日、義母4回目のレントゲン検査に付き添った。
終わった後の結果が早く知りたかった。
と言うのも、じじ妹夫婦が明明後日から2週間ほど旅行に出かけるので
義母の回復を知らせ、安心して出発させたかったから・・・
検査後、ナースセンターで事情を話し、相談した。
「先生と連絡を取って、日時が決まったら電話しますね」との返事。
携帯番号も固定電話の番号も知らせてあるし
「24時間いつでも大丈夫です」ってばばも答えて帰宅。
昼食をすませ洗い物をしていたら姉から電話。
「今、病院だけど、お母さんの検査結果2時頃からしてくれるって」と。
洗い物を途中で止め、病院へ走った。
検査結果を早く知りたいけれど、聞くのはやはり怖い。
心が、せめぎ合う。
2時半を回る頃、ナースセンターに呼ばれ説明を受けた。
パソコンで画像を見せながら先生が説明して下さった。
結果は?
万歳!バンザ〜〜〜イ!ばんざ〜〜〜い!
両方の肺の影が消えている!
良かった!
でもね、一応安心はしたものの・・・・
「年齢が年齢だけに、同じようなことがこれからも起こると思います。
その度に薬や注射で治療をしていくことになりますが、
今回は注射も今日で終わりにしましょうね。」との先生のお言葉。
弱った肺や心臓を手術で治すことは、年齢的に不可能に近いって。
母が介護施設に戻っても100%安心は出来ないけれど
一昨日、母の状態を説明に行った時
「早くこちらに退院出来る事をみんなで待っています。」
と、仰って下さった施設の方の暖かいお言葉がありがたかった。
退院は、木曜日の予定。
入院生活長かったね、辛かったね、お母さん。
木曜日からは、又テレビも観られるし、友達とお話しも出来るし
本当に良かったね。
病院よりちょっと遠くはなるけれど、時間を作って会いに行くからね。
先生から説明を受けて、すぐ妹に電話したら
「良かった〜」と言う妹の声も弾んでいた。
心配せずに、旅行楽しんで来てね。
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昼ご飯の後、じじは「リンクが切れた。繋いでくる」と自宅2階へ上がった。
ばばは、食後のデザートでタンカンを食べていた。
じじと一緒にもタンカン食べたんだけど、じじが2階へ上がって行った後も
NHKのラジオを聴きながら、ひたすらタンカンの皮を剥き2等分し食べた。
何故、2等分かって?
勿論、半分はばば、半分はじじが食べるから。
数分後、リンクを繋いで戻って来たじじが
「ワッキャガ ミカン星人ヌ カミカミ〜」って言った。
標準語に訳すと、「我が家のミカン星人の食べる事、食べる事〜」。
ピンポン球より小さめだったり、表面に傷があって商品価値の無い物を
無人市場で売っていたので、過日、実家のお墓参りに行った時に買って来たの。
それを、食後に食べているのだが、ばばは自称&他称「ミカン星人」
と認定されているほどミカンが好き。
好き好き大好き!
だから、11月末頃から3月頃までは1年間で一番幸せ〜。
だって、ミカンが思いっきり食べられるんだもん。
じじに「カミカミ〜」と言われ、「じじの分もあるから〜。ホラッ」と
お皿に入れた、半個ずつのミカンを見せた。
別に、じじは、ばばがミカンを何個食べようと文句なんか一切言わないよ。
台所で、お茶を入れるためマイカップを濯いでいたじじに
「じじ〜黄色〜。時々顔なんかやけに黄色くなって、自分でもビックリするんだけど」
と言いながら、じじにも掌を見せるように要求。
じじも、カップを濯いでいた右手の平を見せてくれた。
ふたりの掌を見ると、じじはきれいなピンク色で、ばばは黄色〜。
今年もよくぞここまでミカンの色素?で染め上げましたなぁ〜ばば。
自分で自分を褒める。
約4ヶ月かかって黄色に染め上がった、ばばの皮膚は
約1年近くかかって、ほぼ元の色に戻る。
すると、又すぐミカンの季節で、ばばは食べる食べる・・・・・
今では、年間を通してほぼ黄色に近い自称「特別ばば色」。
もう、ミカンの季節も終わる・・・・寂しいなぁ・・・・
ばばは、ミカン大好きなんだけど冬のミカンが好き。
これからも色々なオレンジ類が店頭に並ぶけど
ばばは、一切興味なし。
早く12月にならないかなぁ・・・と、今から心待ち。
でも、ばば〜良いのか?
12月の次はお正月。
又1年が終わり、ばばの年が増えるんだぞ。
いやいや・・・それは困りまする・・・
でも・・ミカンの季節は待ち遠しい。
あと何ヶ月か、葛藤は続く。