どうしよう
3月2日(月)小雨
朝から小雨模様の徳之島です。
我が家の昼前の室温22,9度です。
少し肌寒く感じます。
じじが、バイクのチェックをしようと倉庫に行ったら、
ばばが倉庫に置いてあった毛糸の帽子を持って来て「これ、男物かなぁ?女物かなぁ?使う?」と言った。
じじが持って来たのは。手編みの帽子。

今は亡き、じじ母が元気だった70歳台の頃、編んだ物だった。
母は、とても器用で料理や洋裁、和裁、編み物など、何でも上手だった。
本とか見るわけでも無く、経験と勘でやっていたと思うが、バッグやワンピースなども自作していて
ワンピースは、ばばももらって着た記憶がある。
今にして思えば、本当に申し訳なさと感謝の気持ちしか無いけれど
父の友人、知人が来宅したりした時も、短時間で数種類の料理を準備していた。
じじとばばが島外勤務していた当時、たまに帰省すると沢山の料理を作り、食事を準備して待っていてくれた。
又、妹家族や、ばば家族全員が両親宅で集うときは16,7人分の食事をひとりで作っていて
大きなテーブルに所狭しと数々の料理が並べられていた。
じじとばばが島を離れ加計呂麻島で、勤務していた時、長女と次女が生まれたが
当時は育休なども無かったので、産休が終わると、すぐ、ばばは仕事に復帰した。
当時は、加計呂麻島で乳幼児を預かってくれる施設もなく、
集落の方に昼間だけ預かってもらえないかなと思ったが、高齢の方が多く
しばらくの間は預かってもらっていたが、預かって下さっていた方が島外に移住することになったりして
長女は1歳半で、じじ両親が預かって育ててくれることになった。
我が子と海を隔てての生活・・・辛かったなぁ・・・寂しかったなぁ・・・・
加計呂麻で4年間の勤務を終え、徳之島に戻って周囲の方々の話では、
母は孫をおんぶして家事をしたり、庭仕事をしたりしていたそうだ。
長女に続いて、次女も両親に面倒を見てもらうことになったが、
父も孫を背負いバイクに乗って、用事で出かけたりすることも多かったそうだ。
この両親あればこそ、じじもばばも定年間近まで仕事を続けることもでき
今の生活があるのだと思っているし、じじとも食事中とかに両親の思い出を話している。
親が子どもを、子どもが親を支えるのは、当然のことだとは思うけれど
両親にお世話になった分、ばばは、少しでも恩返しが出来ただろうか?
と、未だに思う、ばばである。
じじが見つけて持って来た、母手編み帽子・・・・一針、一針、思いを込めて編んだんだろうなぁ・・・・
時々かぶって、これからも大事にしていこう。
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