遠い日々
2月21日(金)曇り時々小雨
2月って、こんなに天気が悪いの?って思うくらい悪天続き。
室温19,5度、湿度46%です。
※画像は過日撮ったハナキリンですが、今も元気に咲いているし、開花した桜も元気。
植物って凄いなぁ・・・
庭仕事がしたくてたまらないけれど、天気が悪くて出られ無い。
じじ、今日も撮影に出かけられず。
我が家の庭には、天気が悪くても、イソヒヨドリが毎日のようにやってくる。
最近、じじとばばがタンカンを食べて、その皮を堆肥にしようと庭の隅っこに捨てるから
その皮が欲しいらしい。
近くに巣があるのか?毎日のように庭に来て、伐採した木の枝で隠したタンカンの皮を探し
咥えて、どこかへ飛んで行く。
時には、ブロック塀の上をチョコン、チョコンと飛んで移動している事もある。
話題は変わって、食事の時とか、じじとばば、色々な事を話すけれど
自分たちの子どもの頃の事とか、娘達が幼かった頃の事とかが話題になることも多い。
先日は、娘達が幼かった頃のお小遣いの話になった。
小学校高学年頃まで、我が家ではお小遣いを上げていなかったような気がする。
それ以前は、ばばの実家に毎週末行くと、帰る時は必ず母が玄関先で孫たちにお小遣いをくれた。
又、テストや持久走大会、運動会などで頑張ったときも、報告すると、お小遣いをくれた。
「子ども達に、お小遣いあげていたかなぁ?」という話になって、ふと思い出した。
白髪を1本抜くと、○○円とか、やっていたような気がする。
又、疲れているときに、肩を叩いてもらったり、背中を踏んでもらった時に
回数でだったか?時間でだったか忘れたけれど、お小遣いあげていたような・・・
ばば自分が小・中学生の頃は、落花生の収穫時期になると
よそのお宅に行って、乾燥した落花生の皮を剥き、実(豆)が1合升のいっぱいになると10円とかもらっていた。
唯一、ばばの現金収入だったかなぁ?
小学校高学年か、中学生になって夏休みになると、畦集落にあったパイン畑に行って
畑の雑草抜きをして、いくらかバイト料をもらっていたなぁ。
ばばの家は海に近かったが、家から真逆の県道まで下りて、パイン畑へ行っていた。
当時、島にパイン工場があって、育てたパインを収穫し、パインの缶詰を作る工場があったのだ。
友達何名かで朝早く県道に下りて、会社の?トラックを待ち、荷台に乗って、山裾のパイン畑へ行き
夕方何時頃までか?雑草抜きをして、帰りは又、トラックで送ってもらっていた。
考えてみたら?あの当時、朝から夕方まで働いたと言うことは、弁当持参だったのかなぁ?
どんな弁当を持って行ったんだろう?
母が作ってくれたのか?自分で何か作っていたのか?思い出せない。
一緒に通っていた、親友達に会う機会があれば、当時のことなど色々話してみたいなぁと思っている。
パイン工場の跡には、何年後かにホテルが出来たけれど
そのホテルも今は、どうなっているんだろう?廃墟になっているのかなぁ?
最近、昔の事を色々思い出すのは、きっと加齢のせいなのかなぁ?
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